いつか必ず訪れる。

 

 

お婆さん(旦那の祖母91才)が倒れて

 

胸と肩を打ち、動けなくなり、救急車で運ばれた。

 

 

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朦朧としてるが、意識はある。

 


近所の人も、親戚も来てくれて、

 

みんなが意外と冷静だった。

 

 


近く訪れる日のために用意していた


「入院バッグ」を持って、

 

隣町の病院へ向かう。

 

 


正月だから、みんなが家に居る時だった。

 

 

 

もし私一人だったら、

 

どうにもならなかったから。

 

みんながいる時でよかった。

 

 

 

 

検査を終えた。

 

 

倒れた時の衝撃で

 

右肩球の下?が折れていた。

 

 

 

応急処置で点滴を打って

 

今日は、折れた部分を固定して帰ることになった。

 

 

 

正月で担当医が休みなので、

 

詳しい検査や手術の相談は

 

正月明けの担当医がいる時に・・・

 

となった。

 

 

 

誰かが、

 

「折れたのが脚じゃなくてよかったね。寝たきりになるから。」

 

と言った。

 

 

 

こうして文字にすると

 

不謹慎で衝撃的な言葉だけど、

 

それは、妙に冷静で、説得力のある言葉だった。

 

 

 

おばあさんは力が入らず歩けないので、

 

旦那が担いで車椅子から車に乗せて

 

自宅に戻ると、

 

担いで、ベットへ寝かせた。

 

 

 

それだけで、またどこかの骨が折れてしまいそうだった。。。。

 

 

 

 

おちついたけど、

 

今になって

 

じわりじわりと、怖くなってきた。

 

 

 

 

 

右肩か・・・・。

 

動けないから、しばらくは、

 

お婆さんは、オムツ生活だ。

 

 

 

・・・・「しばらく」だろうか????

 

・・・・ほんとうに回復するんだろうか?????

 

 

 

 

 

お婆さんとの生活で、

 

人間の尊厳というものについて、

 

嫌という程考えさせられる。

 

 

 

 

お婆さんはボケている。

 

 

 

自分で、自分は年寄りで体の自由がきかず、

 

手押し車を使わないと動けない、ということが

 

わかっているときはいい。

 

 

年寄りらしい行動をする。

 

 

 

でも、時々

 

60代くらいの頃?に頭がタイムスリップすることがある。

 

 

 

「自分が年寄り」「自分の身体が自由に利かない」ということすら、

 

頭から抜け落ちているように見える時がある。

 

 

 

おばあさんは、

 

家事をしたくなる。動きたくなる。

 

 

 

突発的に、ものすごい力で動き出す。

 

当然、身体はついていかない。

 

足は動かない。

 

 

 

「お婆さんは動きたい」

 

 

そこだけ切り取ると、

 

「お婆さんは突発的に動き出して

 

危険なことをすることがあるから、

 

家族が注意して見ていてくださいね」

 

となる。

 

 

そこだけ切り取ると。

 

 

でも、それが、24時間。

 

365日続く。

 

 

 

危ないから、

 

家族は監視していなくてはならない。

 

 

怪我をしないように制止する。

 

 

 

どこまでが危険なことで、どこまでが安全か。

 

どこまでがリハビリで、

 

どこからが、制止すべきことか。

 

 

 

行き過ぎた制止は

 

尊厳を傷つけることになるだろう。

 

 

 

 

「お婆さんは動きたい」

 

 

尊厳を尊重するなら

 

お婆さんのその思いを汲んで、

 

何か簡単な洗濯たたみとか、

 

おばあさんができそうな家事をお願いするだろう。

 

 

し、実際そうしてる。

 

 

 

「簡単な家事をさせておけば、お婆さんも満足するでしょう」

 

でも、実際、それでは済まないことが多い。

 

 

 

人間、そんな簡単に

 

他人の思い通りに満足なんてしないモノである。

 

 

 

それにそれって、

 

単にこちらの都合がいいように

 

先回りしてコントロールしてるだけである。

 

 

 

もし、それでコントロールしようとしたとしても、

 

予測不能な行動をする。

 

危ない。

 

 

コントロールがいいか悪いかの前に、

 

そもそも思い通りに

 

コントロールなんてできない。

 

 

 

 

「だったら、もう、一日中ベッドで横になって居てくれ!」

 

と思ってしまうことがある。

 

 

 

それは、

 

お婆さんの安全のために。

 

怪我をさせないために。

 

 

 

 

その昔、

 

介護施設で認知症の方の身体的拘束が問題になったが、

 

実際、表に出ない

 

さまざまな事情があるんだろうなぁと思う。

 

 

 

 

お婆さんの思いと、

 

人間の尊厳と、

 

危険の回避と、

 

家の環境と、

 

家族の負担と。

 

 

 

それら全てがマッチングする部分を

 

なんとか手探り見つけようとするが、

 

なかなか、見つからない。

 

 

 

一時のことなら

 

どうにかなりそうなことでも、

 

 

24時間常に・・・となると、

 

そもそもそれを見つけようとする

 

モチベーションすら、崩壊してくる。

 

 

骨折して、デイサービスにはおそらく、しばらく通えなそうだ。

 

(まだ聞いてない)

 

お風呂など、どうしよう。。。。

 

 

 

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お正月も働いている、救急隊の方々には頭が下がる。

 

ありがたかった。