思えば、小さな頃から、

 

親子関係が逆転していたのかもしれない。

 

 

「あやだけが頼り」で、

 

「お母さんのことをわかってくれるのは、あやだけ」。

 

 

 

子供ながらに、

 

母親を慰め、

 

両親の不仲の橋渡しをしていた。

 

 

なんとかしようと、必死だった。

 

 

 

こわれかけた家族を

 

つなぎとめておこうと、必死だった。

 

 

 

結果的に、そうできなかった自分をずいぶん責めた。

 

だいぶ抜け出したけど、

 

いまでも、責めそうになることがある。

 

 

 

親の不祥事の責任を被されることもあった。

 

 

世間では子供だと大目に見てもらえるから、

 

そうすることしか

 

生きてゆくための抜け道は無いのだと、

 

子供心に、悟った。

 

 

 

 

思えば、昔から、

 

親子関係が逆転していたのかもしれない。

 

 

 

子供では到底無理な責任を負わされ、

 

 

子供として親に甘えたり

 

無邪気に振る舞うこともできず、

 

自分の感情を麻痺させて、わからないものにした。

 

 

 

 

 

長い長い1日が終わる。

 

 


市営住宅で一人暮らしをしている
 

実家の母が、

 

またトラブルを起こしてしまった。

 

 

 

菓子折りを持って、謝罪に行った。

 

ことが大きくなったのは、

 

一昨年に続き、2度目だった。

 

 

 

わたしが母を、かわいそうな人扱いしているから

 

母はいつまでもそのポジションに居続けるのか?

 

 

心に境界線を引いて、

 

適切な距離を置くことは、もう、何度も何年もやってきた。

 

 

 

心のことを知ってるから、余計に

 

「母は、欠乏感を埋めようとして、問題行動を起こすのだろう」と

 

思ってしまう。

 

 

「わたしが、安心させてあげられないから、こんなことするんだ。」って

 

子供の頃からの思い癖が出る。

 

 

 

「なにやってんだよ!」

 

「お前なんか、親じゃねーわ!」

 

 

周りの人に制された。

 

 

 

部屋には、

 

くも膜下出血をやって

 

あれほどダメだといわれていた

 

タバコも、酒もあった。

 

 

 

母は、

 

動揺したそぶりを見せ泣きわめきながらも、

 

 

ササっと冷静に、

 

タバコの吸い殻の詰まった

 

ワンカップ酒の空き瓶を隠した。

 

 

 

わたしは、何もかも、信じられなくなった。

 

 

 

思えば、

 

こどもの頃から、そうなのだ。

 

 

 

信用できない親さえも、

 

受け入れなければと、なんとかしようとしてきたのだった。

 

 

 

 

母は「来週ね、水道の工事でね、水がね、1日止まるの」と、言った。

 

 

 

くも膜下をやった、そのろれつの回らない口調も、

 

びっこを引いてる足取りも、

 

突然、とんちんかんな話題に変えるのも、

 

 

もしかしたら、演技なのかもしれない。

 

 

何を信じたらいいのか、わたしは、よくわからない。

 

 

 

数日分の食料と、お金を置いて、

 

母の住む市営住宅を出た。

 

 

 

疲れてしまって、朦朧としたので、

 

寄り道して、駐車場で、しばらくぼーっとしていた。

 


せめて自分には、甘いもの。

 

 

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明日は、コバマスで

 

ディズニーにいく。

 

 

今日が、明日でなくてよかった。

 


「子供心に帰る」って

 

わたしには、帰る子供心 が無い。

 

 

 

 

無理な責任を負わされ、

 

子供として親に甘えたり

 

無邪気に振る舞うこともできず、

 

 

自分の感情を麻痺させて、わからないものにしてきた

 

怒りと悲しみが、ふつふつと、湧き上がる。