少し前。

 

 

わがままに、イヤなことを、イヤだと言った。

 

どうしても、我慢ができなかった。

 

どうしても、嫌だった。

 

 

こんなに悲しくて、苦しい気持ちになったのは、初めてだった。

 

 

そのままがまんをしていたら、

 

私が私でなくなってしまう気がした。

 

 

 

人生のすべてを何もかもぶち壊して

 

破壊してしまいそうになるくらい、

 

 

私がわたしの中の

 

怒りのエネルギーを

 

コントロールできなくなりかけていた。

 

 

 

きっかけとなった それ自体は、ほんとうに些細なこと。

 

 

 

私じゃなかったら、

 

誰も気にも留めないようなこと。

 

 

 

普通の人が、普通の感覚を持ち合わせていたら、

 

たぶん、ありふれた日常のうちの、ひとつ。

 

何の気なしに過ぎ去っていくようなこと。

 

 

 

 

でも、わたしにとっては、

 

些細な事ではなかった。

 

 

わたしの人生と未来を左右するくらい、

 

重大な事だった。

 

 

わたしという人間の存在がおびやかされるくらい、

 

恐ろしいことだった。

 

 

 

それほど、そのことが

 

とっても、とっても、悲しくて、つらい事だった。

 

 

 

 

私の中にある、

 

ちいさなちいさな みじめさのタネに火がついた。

 

 

一旦火がついたら、

 

もう、炎が燃え広がるのは止められない。

 

 

 

生き生きしていた気持ちが灰になって、

 

どんどん気持ちが落ち込んで、

 

どんどん気が沈み、

 

どんどんどんどん磨耗して、

 

意欲が底をつきそうになった。

 

 

わたしの持っているエネルギーが

 

ほんのわずかだけになって、枯渇した。

 

 

 

ほんとうは、もっとずっと前から、

 

炭化していたのかもしれない。

 

 

 

 

ずっと前から、悲しくて、つらくて、嫌だと思っていた。

 

本当に、やめてほしいと思っていた。

 

 

 

でも、どこかで、

 

そんなふうに思う自分は

 

 

なんて大人気ないんだろうとか、

 

なんてわがままなんだろうとか、

 

なんてみみっちいんだろうとか、

 

 

あれこれ理由を並べて、

 

がまんしていた。

 

見て見ないふりをしていた。

 

 

 

 

きっと私が我慢をして、

 

見て見ないふりをして、

 

気づかないふりをしたら、

 

 

きっと円滑に何も起こらず、

 

誰も困らず、

 

みんながそれぞれ、自由に楽しくうまく過ごしていたのだと思う。

 

 

 

でも、そのことさえも

 

私が置いてけぼりになっているようで、

 

より一層 お腹の中で、

 

みじめさの炎が、燃え広がった。

 

 

 

====

 

 

 

よく、「嫌な事はイヤだと言おう」と言うが、

 

 

これは、相手が自分に対して、

 

何かアクションを起こしてきた時なら、

 

比較的言いやすい。

 

 

「そうされると、イヤなんです。やめてください。」

 

まだ言える。

 

 

 

でも、誰も、何も困ってない場合は????

 

 

 

それぞれの自由の範囲で、

 

自由に好きにしている部分で、

 

私が勝手に傷ついて、苦しんで、悲しんでいる場合は?

 

 

 

私が悲しんでいる以外に、

 

実害が全く無いとしたら????

 

 

 

 

それは、単なるわがままだろう。

 

これについて何か不平や不満を言ったら、

 

ただの当たり屋と同じだ・・・。

 

 

 

・・・・がまんする以外に、選択肢はなかった。

 

 

もしそれでも、

 

がまんを選択しないとするなら、

 

残りは「私がここに存在するのをやめる」しかない。

 

 

 

きっと、どうでもいい赤の他人なら、

 

何も言わずに、そっと距離を置くのだと思う。

 

そういう相手では無い場合、どうする????

 

 

 

 

少し前。

 

 

わがままに、イヤなことを、イヤだと言った。

 

どうしても、我慢ができなかった。

 

どうしても、嫌だった。

 

 

 

きっと、相手はびっくりしただろう。

 

そんなことで?と思ったかもしれない。

 

嫌な気分にさせたかもしれない。

 

困らせたかもしれない。

 

縁が破綻するかもしれない。

 

 

わたしのせいで、

 

今まで何も問題なかったことを問題視せねばならず、

 

自由度が減ったかもしれない。

 

それなら、お前は存在しなくてよし、と宣告されるかもしれない。

 

 

 

 

それでも、

 

わたしは、もうこれ以上、

 

悲しい思いをすることに耐えられなかった。

 

 

 

 

それからしばらく経つ。

 

 

その後、どうなったかというと。

 

 

 

今、わたしは、安心としあわせと

 

感謝と尊敬の気持ちに包まれている。

 

 

 

IMG_20170817_184541354.jpg

 

 

 

いまだに、これであっているのかわからない。

 

 

 

感謝と尊敬と信頼の想いと同時に、

 

「私のせいで、人の自由を奪ってしまったんだ」という罪悪感がある。

 

 

 

そして同時に、

 

同じような事が二度と起こらないか、

 

ビクビクと注意深く監視してしまいそうになる自分もいる。

 

 

 

 

けれど、いまは、

 

ちゃんと言えた、自分に寄り添っていよう。

 

 

感謝と尊敬と信頼の想いを抱いて

 

しあわせな気持ちでいる自分に、フォーカスしていよう。

 

 

 

 

 

 

あの時、

 

これ以外の選択肢は、わたしのなかに、なかった。

 

そして、これからも、ない。

 

 

 

 

よく、「嫌な事はイヤだと言おう」と言うが、

 

 

わたしは、気安く

 

「うんうん、嫌な事はキッパリ嫌といいましょうね〜」

 

だなんて、

 

軽い気持ちで他人には言いきれない。

 

 

そこには、いろんな感情がくっついているのだから。