あ。

なにこれ。すごい。(;o;)


サラッと書いてらっしゃるので、
うっかり読み過ごすところだった。



人前で、心から泣けない。
どこか冷めてる自分がいた。

そんな自分を、
ずっと冷酷で非情だと思っていた。


悲しくてつらい思いのときにすら、
どこか冷静に
人の目を気にしている自分がいた。

「自分には、人のあたたかみが無いんだな。」
そう、思っていた。



他人が悲しい思いをしているとき。

寄り添ってあげることもせずに、
励ますこともせずに、

どうしていいかわからなくて、
知らない振りをしていた。


そんな自分を、
なんて思いやりの無い人間だろう、
と思っていた。


悲しいのに泣けない自分=無慈悲

だと、思い込んでいた。



そっか。忘れていた。


涙という形にならなくても、

自分なりの方法で
感情をしみじみ感じられたら、

それでも十分なんだ。


わたし、忘れていた。


人前で泣けなかった。
感情を思いきり出せなかった。


父が居なくなったあの日、

「よかった。もう怖い思いをしなくて済む。」
と、

そう自分に言い聞かせて、
笑っていた。

本当は悲しかった。
怖かった。

なのに、笑っていた自分。



母が男の人のところに出て行った。

「ラクでいいな。」
そう思うことにした。

本当は寂しかった。
悲しかった。
「私を置いて行かないで」と思った。

なのに、知らんぷりしていた自分。



父が死んだあの日でさえ、

泣けなかった。

つらい気持ち、切ないきもち、
悲しい気持ち、淋しい気持ち。

感謝のきもち。
申し訳ない気持ち。
それから、罪悪感。

その奥にある、あたたかさ。


ぜんぶ、

あった。


わたしの中に、あった。


忘れていた。



それでいいんだ。

別に人前で泣けなくても。

無理して泣こうとしなくても、いいのか。

無理して笑わなくてもいいのか。

無理して寄り添わなくても、
いいのか。


忘れていた。


あのとき、確かに
わたしは、

わたしのできるやり方で、
自分なりの方法で、
感情を感じ切っていたと、思う。


後になって思えば、
もっとストレートに表現してもよかったのにな。

そんなこともあるけれど。


素直に泣けなかった自分も、

笑えなかった自分も、

寄り添えなかった自分も。


許そう。


そんなふうに、思った。


実力の無い超人気カウンセラーだって。
週末、今からでもまだ参加できるって。


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