ちょっと真田丸の関連もあり、個人的に尊敬する旧日本軍の軍人さんのお話をしたいと思います。これから書かれることは全てノンフィクションであることをお断りしておきます。


生ける英霊……舩坂弘(第二次世界大戦)




・旧日本軍が産み出したターミネーターと言われるほどに頑丈な体と再生能力を持つ。 
・普通の人が数ヵ月は病院のベッドで過ごすような怪我でも消毒して一晩寝れば治った。 
・武術の免除は一通り持っていた。 
・部隊が全滅した上に重傷を追い、手流弾で自決を試みるも不発だったため、どうせなら米軍基地を破壊して死のうと3日3晩かけ匍匐前進にて米軍基地へ向かう。 
・到着した米軍基地で3人を殺し、混乱の只中にある米軍の司令官テントに特攻をかけるが首を撃たれて活動停止に追い込まれる(米軍は死んだと思って死体置き場に安置した) 
・安置されてから3日後に活動再開可能になり、さっきまで仮死状態だった人間とは思えない暴れっぷりで米軍基地を再び混乱の坩堝に落とした。 
・捕虜になってからも、火薬庫破壊等、ゲリラ活動に余念がなかった。 
・あまりの暴れっぷりに手を焼いた米軍が、彼の世話係にクリスチャンを派遣した。クリスチャンとの交流で何か想うことがあったのか破壊活動は少しおさまる。(クリスチャンとは後に手紙をやりとりすることになる) 
・あまりの暴れっぷりで、軍医からは「貴方ほどに勇敢で(精神、肉体共に人間の常識を凌駕した存在)果敢な軍人を私は知らない。日本は貴方のような軍人がいることを誇りに思うべきだ」という手紙を残させる 
・機密を守るために捕虜になってからも偽名で通して、バレなかった。 
・4年間の捕虜生活のおかげでアメリカの先進性を目の当たりにして、戦後必要なのは教育だと思いいたり、帰国してから書店を開く。 
・そんなわけで、日本では彼が戦死したと思っていたから、葬式も済み、墓も建てられていた。彼が帰国してから最初にやったことは自分の卒塔婆を抜くことだった。 
・戦後、自分の体験を手記にしてバカ売れ。しかし得た利益は全額、世界赤十字社と戦友の遺骨回収のための旅費や慰霊碑建立に当てられた。 
・作家の三島由紀夫とも親交があり、三島由紀夫に孫六を贈った。その刀はのちに三島由紀夫の自衛隊市ヶ谷駐屯基地の自決に使われる。 
・日本軍公式記録にて、唯一個人名がのる。(普通は載らない) 
・そんな彼だが、最期は病院のベッドで迎えた。天寿を全うした彼は医師の死亡宣告後も、再び生き返ることはなかった。



嘘のような本当の話。
私もたった1人になろうともかくありたい?