ゴム袋にピッタリと守られるように包まれているピンポン玉状の丸い羊羹がある。

それにプスッと爪楊枝でさすと、それまで羊羹を守るように周りに張り付いてゴムがプルンと剥けて黒真珠と形容しても決して大仰ではない丸い羊羹が私の前に鎮座する。


行き付けの羽咋市にある神音カフェさんでコーヒーのお供に出していただいたのが、私と福島県二本松市にある田嶋屋さんの玉羊羹との出会いである。









遊び心満載ながら、素朴な味わいのその羊羹は戦前からある商品らしい。


戦前は、その形状から日の丸羊羹の名で親しまれて愛されてきた。


昭和16年12月9日の真珠湾攻撃を皮切りに始まった大東亜戦争(太平洋戦争)の影響で、国内の深刻な食糧品の不足のため、砂糖が手に入らず


老舗田嶋屋さんは


「今は国内では普通に食べることも難しく、当然羊羹の材料も手に入りにくい。代替え品でお客様に羊羹をお届けすることは出来ないことではないが……信頼はどうなるだろうか?私たちは最高の食材と環境と技術で羊羹をお客様のお口にお届けしてきた。そして美味しい美味しいとお客様に信頼して頂いた……。その信頼はどうなるだろうか?目先の利益を取ることで、その頂いた信頼はそこにあるのだろうか?何処かへ行かないだろうか?


田嶋屋さんの最終的な選択は



「納得のいく材料が手にはいるまで、店を閉める。」


だった。その言葉通り戦時中、日本から田嶋屋さんの羊羹が消えた。


それから70年の時を経て田嶋屋さんの玉羊羹は今、私の目の前にある。


確かに美味しいが、ハッとするような味ではない。

特段秀でた味ではない。

ただ素朴で美味しく、ちょっとした遊び心に溢れた羊羹である。
お客様に本物の美味しいを届けたい
そのために一時閉店を決めた
商品に生真面目に誠実に取り組み作られた事が舌から伝わる味である。


昨今の食品偽装やゴーストライター問題、本調子でないままに作品を送り出す作家……そんな何を信じて良いか分からない時代だからこそ、田嶋屋さんの玉羊羹は多くの人に愛されてやまないのだろうと染々思う睦月の終わりである。