色は匂えど | “If you want to be happy, be.”

“If you want to be happy, be.”

ハッピーになりたきゃなればいい。そんなかんじ。

  諸行無常(しょぎょうむじょう)--- すべての存在は移り変わる
  是生滅法(ぜしょうめっぽう)--- 是がこの生滅する世界の法である
  生滅滅已(しょうめつめつい)--- 生滅へのとらわれを滅し尽くして
  寂滅為楽(じゃくめついらく)---  寂滅をもって楽と為す


これを和訳したものがいろは歌だといわれています。 

   いろはにほへと ちりぬるを
   わかよたれそ  つねならむ
   うゐのおくやま けふこえて
   あさきゆめみし ゑひもせす 

 このままでは意味がわかりにくいので、漢字を当てはめてみると、

   色は匂へど 散りぬるを --- (諸行無常)
   我が世誰ぞ 常ならむ  --- (是生滅法)
   有為の奥山 今日越えて --- (生滅滅已)
   浅き夢見じ 酔ひもせず --- (寂滅為楽)

となります。

 「色は匂えど散りぬるを」
花は爛漫と咲き乱れていてもやがて散ってしまうように、
人にも寿命があり、
すべての存在はうつりかわる。
我が世と青春と肉体を謳歌していても、月日のたつのは実に早いものであるという
「諸行無常」を示します。

「我が世誰ぞ常ならむ」
この世に存在するものは生滅する法(真理)です。
釈尊は「一切のものは無常である。諸法は無我である。
故にすべての存在しているものには
永遠不滅なるものなどは内在しない」と示されています。

 「有為の奥山今日越えて」
有為とはインド語でサンスクリタ(作られたも の)
英語で言うと the created 
しかし、キリスト教のように神によって創られたものということではなく、
仏教では縁起思想ですから、原因と条 件が合するところに万物は存在する。
因縁は常に加わりますから、それに応じて常に相(すがた)を変えています。
すなわち「無常」です。
この「無常」なるも のへのとらわれを滅して因縁の道理を知る、
真実の道理に目覚めることです。
有為とは為す有りとも読めます。
人間のはからいとは「人生とはどうしたって有為 なんだ」というのでしょうが、
無為というのは為す無しということです。
そのことに一所懸命には勤めるが、こうやったらこうなるだろうというアテを作らない こと。
アテを作るとみんな、必ず手前みそになってしまうのです。

 「浅き夢見じ酔いもせず」
寂滅をもって楽と為す
有為の奥山を越えて観る
ならば、苦しみ悩みは「夢のようなもの」「酔っぱらっていた」ようなものである。
「寂滅」とはやすらぎということです
。「他を何とかとしなければ」にとら われるのではなく、まず自分の我を殺す。
そしてそのあとで本当の楽しみが来る。
我が滅しられ、煩悩の火が吹き消えた状態で、
一切のものごとへのこだわり や、とらわれの心がなくなった状態、
やすらぎ、無や空の境地を示しています。