ゴッホの書簡集を読んだ。主に、弟テオとの手紙のやりとりである。
ゴッホは30歳近くまで、神学を志し、とにかく人の役に立ちたい、人の為の自分でありたいという思いで一杯であったという。
その精神は純粋で、子供の頃から自然を愛し、動物や小さきものを愛する心やさしき人であったという。しかし、神学校での勉強は努力したにもかかわらず、それはゴッホにとって相容れるものではなかった。それは、ある種の権威との葛藤であったのかもしれない。
ゴッホの目標は宗教において、
「自分自身を忘れること、自己を犠牲にすること、自己を克服すること」であったという。
それが何故・・、教会に受け入れられることがなかったのだろうか。
小さい頃から、素描が得意であったゴッホは、やっと絵筆を取ることになる。
その目と精神は、けして妥協することなく対称や自然を捉え、自由な色と形で表現していった。
それもまた、当時流れが起きていた印象主義とも一線を画し、日本の浮世絵に影響を受けたという
その画風は、全く独自のものであった。
平面的でありながら、色と色が、ぎりぎりのところでぶつかり合い競合していく
すさまじい厳しさがある。
私は時々、ゴッホの絵を見る機会があるとへとへとになる。
その凄まじい筆の動きを目で追ってしまう。
ゴッホは最初、下宿先の娘に恋心を抱きその失恋の後、アムステルダムからやってきた若き未亡人との恋にも破れ、その失意と共にゴッホの性格は気難しいものに変わっていったという。
ゴッホがもし、きちんと思いを受け入れられ結婚することが出来ていたら、もしかしたら今あるゴッホの絵は目にすることがなかったかもしれない。
社会的地位を得るために彼は違う道を歩いていただろう。
有名なゴーギャンとの共同生活から生まれた葛藤と悲劇。
それは戻ることの出来ない破綻へと向かい、自分の耳を切る。その精神は異常をきたす。
「不平を言わずに、苦しみに耐えること」
このゴッホの言葉からその暗闇から抜け出し、神の安息と救いが与えられることはついになかった。
最後を看取った、最大に理解者であったというガッシュ博士は、
「彼の芸術に対する愛情という言葉は当たっていません。信仰と呼ぶべきです。
殉難を生む信仰なのです。」
最後にゴッホの言葉
「悲しみに満ちていて、しかも、つねに心楽しむ。」