夜行トンネル

 

年末の冷たい空気が、東京の街に薄く張りついていた。
仕事納めの余韻もそこそこに、俺は重たいカバンを引きずって新宿のバスターミナルに向かっていた。

実家に帰る。——
年末年始は毎年そうしてきたし、うちの家庭ではそれが当然だった。
でも、もう俺も二十代も後半になった。

「そろそろ自分の時間を大事にしたい」って、最近はそう思うようになってきた。

年末くらい、自分だけの予定を入れたってバチは当たらないだろう。

そんなことを考えながらも、結局今年もまた、俺は夜行バスのチケットを取っていた。

ターミナルには似たような顔ぶれが並んでいる。
キャリーケース、ダウンジャケット、ちょっと眠たそうな顔。
みんなそれぞれ、帰る場所があるんだろうなと思いながら、俺は静かにバスに乗り込んだ。
 

指定された席に腰を沈めると、深くため息が漏れた。
スマホをいじる気にもなれず、窓の外をぼんやり眺めているうちに、バスは静かに動き出した。



エンジンの振動が心地よく体を揺らす。
気がつけば、俺はいつのまにか眠りに落ちていた。

——夢の中だった。

ぼんやりとした視界の中で、俺は助手席に座っていた。
運転席には父の後ろ姿がある。
どこへ行くのかは分からないけど、車はまっすぐ走っている。
小さい頃、こんなふうに家族で出かけたな、と思った。

行き先はいつも教えてもらえなかった。

「着いてからのお楽しみ」なんて言って、親はニヤニヤ笑っていたっけ。
でも俺は、それがけっこう好きだった。

目的地がどこか分からなくても、窓の外の景色がどんどん変わっていくのを見てると、
まるで世界を冒険してるみたいで、ワクワクした。


 

知らない道を走って、たどり着く先が遊園地だったり、海だったり、山だったり。
そのどれもが、俺にとっては“特別な場所”だった。
 

でも、夢の中のその光景は、やがてだんだん薄れていった。
父の後ろ姿も、車の音も、遠ざかっていくように静かになって——


次の瞬間、目が覚めた。

 

いや、正確には「覚めかけた」と言った方が近いかもしれない。
夢と現実の境目を、ふらふらと行き来している感覚だった。
 

窓の外を見ると、バスはちょうどトンネルに差しかかるところだった。
真っ黒な闇がぽっかりと口を開けていて、その奥に吸い込まれていくようだった。

そして、トンネルの中に入ったとたん——

 

 




景色が変わった。

 

窓の外に広がっていたのは、現実じゃなかった。
あれは……夢の続き? でも、目は覚めてる。

不思議と恐怖はなかった。ただ、懐かしさだけが心に溢れた。

そこには、昔行った場所が次々と現れていた。

夜の中に浮かび上がるように、遊園地の観覧車がゆっくり回っていたり、
焚き火のまわりに家族で座ったキャンプ場の光景が見えたりした。



 

“あの時”が、そこにあった。

忘れていたんじゃない。思い出す暇がなかっただけだったんだ。
あの時間が、たしかにあったことを、バスの窓が教えてくれていた。

トンネルは長かった。でも、やがてゆっくりと抜けていく。

その瞬間、外は夜明けの色に染まっていた。

窓の外の景色は、もうただの田舎の風景に戻っていた。

でも、俺の中にはさっきまでの“不思議な時間”が、確かに残っていた。

席を立つ前、スマホに表示された時刻を見て、俺は小さく笑った。

目的地まで、あと少し。

今年もまた、実家に帰る。

正直、ちょっと億劫だったはずなのに、
なんだか今は、少し楽しみになっていた。
 

親との時間って、ずっとあるわけじゃないんだよな。
あの頃は永遠みたいに思ってたけど、
過ぎてしまえば、ほんの一瞬だった。
 

——だからこそ、

「今」をちゃんと大切にしないといけないんだろうな、って思う。

シートベルトの金具が静かに外れる音がして、
俺は荷物を手に取った。
 

バスはもう、止まる直前だった。