本因坊道策の生誕地を訪ねて  -その1- | 今川弥吉の徒然草

本因坊道策の生誕地を訪ねて  -その1-

〇東漸する低気圧を気にし乍ら、6月11、12の2日間 島根県へ旅をした。

〇小生が主宰する囲碁クラブの第2回研修旅行として、第1日目は近代囲碁の祖といはれる本因坊道策(1645~1702)の生家を訪ね、墓詣をした。

〇日本海に面する大田市仁摩町にある道策の生家山崎家は、十三代続く同地の旧家。道策は父三代目七右衛門、母ハマの二男として生れた。幼くして俊才で7歳の頃から母に囲碁を習ひ、13歳で江戸へ出て本因坊三世道悦の門人となった。

下の写真は生家正面全景で、人が立ってゐる所が駕籠を下す石の台。 
尚、家は居住中のため、内外とも一般公開はしてゐない。今川弥吉の徒然草 

$今川弥吉の徒然草左の写真は有名な「折檻の井戸」。
母ハマは気丈な賢夫人で、子女の教育には特に心を砕き、時には裏にあるこの井戸に道策を吊るしたといふ逸話がある。

下の写真は、道策が幼少時使用した碁盤・碁笥・碁石。                     
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写真下は、松江市で行はれた第66期本因坊戦第1局の前日、対戦者と立会人が見学と墓参に訪れた時の揮毫色紙。写真のうへでクリックすると拡大しますビックリマーク 
左 羽根直樹、中 名人 小林光一、右 本因坊道吾
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〇山崎家は、毛利元就の家臣で一万石を領してゐた松浦但馬守を祖としてをり、馬路に定着後は土地の庄屋として重きをなしてきた。

下の写真は、広い玄関土間から見上げた屋根裏の重厚な太梁組み と 入口横の壁際に掲げられた家紋入りの提燈。

今川弥吉の徒然草

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