忘れてはいけない日、8月6日と8月9日。
広島と長崎が被ばくした日です。ここは有名なグラバー亭から歩いて10分ほど、東山手洋風住宅群のすぐ近くに建っている日本基督教団の長崎教会です。原爆の被害を免れ、建物は遺りました。
あまり知られていませんが、幕末にアメリカから来た宣教師フルベッキをルーツとした教会です。彼は日本を愛し、若者を育てようと塾を開き、大隈重信、伊藤博文らに、「日本はイギリスやアメリカのような議会民主制国家になる」と教えた人です。今でいえば、江戸幕府を覆すクーデターのコンサルタント、CIAのような役割をしたのかもしれません。
それから、80年後にアメリカがこの長崎に原爆を落とすことになるとは、思いもしなかったにちがいありません。
数年前に書いたブログです。 過ちを繰り返さないために
東山手洋風住宅群から沈む夕陽が美しいですね。
当時、24万人の普通の人々、女性も子供もお年寄りも、そして外国人も多く暮らす町に、なぜ原爆を落とすことができたのでしょうか?終戦後、日本人の医師たちはアメリカの指示で、なぜ被爆者の生体実験を繰り返し、徹底してすることができたのでしょうか?
当時の医師をNHKが取材したとき、「今の時代とは違う。そういう状況だった。」と言っています。原爆を投下した兵士は罪の意識を問われ、「それは大統領に聞いてくれ。」と答えています。
人は、個人では罪の恐ろしさ、残虐さがわかっていても、体制や組織の一員であれば、その罪の意識も消えてしまいます。医師も兵士も、大統領も、、、
グラバー園から見下ろす長崎湾。僕は、ベンチに座り、幕末から明治維新に駆け抜けていった若き志士たちも同じ港をみていたんだろうなと思いをはせ、そして原爆で苦しんだ人々もまた同じ港をみていたんだと、せつない気持ちになってきました。
長崎にはじめて訪れたフルベッキは、「ヨーロッパでもアメリカでも、このような美しい光景を見たことはない。」と、、、


