朝になっても、雨は降り止まない。
昨晩、妹から借りた村上春樹の「1Q84」を読んでいたら、外で車のクラクションがなった。
村に住むケンイチじいさんだ。
「パソコンまた教えてくれんかい?」
これはつまり、一杯飲もう、というお誘いである。
もう70歳になるおじいちゃんのお誘いを断ることはできない。そのまま、一緒におばあちゃんとふたりで住む家に行った。
たけのこや山菜の「こごみ」を肴に、ひたすら地元の酒「千羽鶴」を二人で飲み交わす。
ケンイチじいさんは、今度「牧野(ぼくや)組合」の理事になったという。
どこの牧野か聞いて、驚いた。
「法華院で。」と、なんでもないような顔で言う。
法華院は、久住山の山頂近くにあるキャンプ地で、山道を3時間ほど登ったところにある。
「法華院は、みんな登山でいくところだから、牛とか行けんでしょ。」
ととても信じられないという顔で僕が言ったら、
「いいや、昔はその山道を牛連れて登りよったんや。あそこの草地は硫黄が多いけん、ダニがおらんからのう。」
昔は牛も人もたくましかったんだなあと感心しながら、千羽鶴をぐいぐい飲み続けた。
今では、この村で牛を飼う人も少ない。まして、そんな山の上まで牛を連れて行くこともない。法華院の牧野(ぼくや)は、野焼きもしなくなり、自然に帰ったという。
時がたてば、久住の山の上で牛が飼われていたことを知る人は誰もいなくなるだろう。
今みている世界がすべてではない。僕達はいくつもの時間が重なり合った世界に生きている。