三善晃の生誕75周年を記念した演奏会シリーズ第2日目に行く。アマチュアと児童合唱が出演するせいか、ものすごい混雑ぶりで、招待席以外ほぼ満席の状態。ちょっとびっくりする。結局3階サイドの席をとったが、正直言って怖い席である。「ものを落とさないでください」と書いてあると、パンフレットを落としそうな気がして、冷や汗が出てくる。
それにしても第1日目に行かなかったのは失敗である。これだけのメンバーでこれだけの曲をまとめて演奏する機会はまずないだろう。第2日目は合唱曲ばかりで、栗友会合唱団がメインである。合唱曲はアマチュアが歌うことを想定しているせいか、歌のパートは比較的平易に書かれているように思うが、ピアノはまぎれもなく三善である。カチューシャの唄や佐渡おけさにあんなピアノがつくなんて誰が想像できるだろう。三善の曲はどれも重く厳しいものであるが、合唱だとそこまで厳しくないのが救いである。
気になることが一つ。プログラムには、「レクイエム」「響紋」などの三部作のことが触れられているが、それについて「反戦三部作」と書かれている。確かに「三部作」が戦争とは切っても切りはなせない曲であるのは間違いない。しかし、反戦などという、手あかにまみれたイデオロギー的な言葉で語るべき曲ではない。三善は、タイトルも、歌詞も忘れてほしい、と言っているではないか。三善が戦争を体験し、生き残ってしまったことを原罪と感じ、生きているものができることは何かと考えたときに、生まれた曲であろう。それは、死と否が応でも直面しなければならなかった人間の、そしてこちら側に残ってしまった人間の、向こう側にいる人間を思いながら今生きる意味を問いかけているものなのではないのか。それが単なる反戦と表現されてしまうとは、、、ちょっとショックである。
三善は武満ほどにはポピュラーではないと思うが、音楽の深さでは比べ物にならない。客席にいた三善は、車いすで移動しており、健康にはだいぶ不安があるのかもしれない。現在新国立劇場の委嘱で「かちかち山」をモチーフにしたオペラを作っているらしいので、何とか完成させてほしいものである。
それにしても第1日目に行かなかったのは失敗である。これだけのメンバーでこれだけの曲をまとめて演奏する機会はまずないだろう。第2日目は合唱曲ばかりで、栗友会合唱団がメインである。合唱曲はアマチュアが歌うことを想定しているせいか、歌のパートは比較的平易に書かれているように思うが、ピアノはまぎれもなく三善である。カチューシャの唄や佐渡おけさにあんなピアノがつくなんて誰が想像できるだろう。三善の曲はどれも重く厳しいものであるが、合唱だとそこまで厳しくないのが救いである。
気になることが一つ。プログラムには、「レクイエム」「響紋」などの三部作のことが触れられているが、それについて「反戦三部作」と書かれている。確かに「三部作」が戦争とは切っても切りはなせない曲であるのは間違いない。しかし、反戦などという、手あかにまみれたイデオロギー的な言葉で語るべき曲ではない。三善は、タイトルも、歌詞も忘れてほしい、と言っているではないか。三善が戦争を体験し、生き残ってしまったことを原罪と感じ、生きているものができることは何かと考えたときに、生まれた曲であろう。それは、死と否が応でも直面しなければならなかった人間の、そしてこちら側に残ってしまった人間の、向こう側にいる人間を思いながら今生きる意味を問いかけているものなのではないのか。それが単なる反戦と表現されてしまうとは、、、ちょっとショックである。
三善は武満ほどにはポピュラーではないと思うが、音楽の深さでは比べ物にならない。客席にいた三善は、車いすで移動しており、健康にはだいぶ不安があるのかもしれない。現在新国立劇場の委嘱で「かちかち山」をモチーフにしたオペラを作っているらしいので、何とか完成させてほしいものである。