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石炭を掘り続けた炭鉱マン、日本の近代化を地底から支えた炭鉱マン。

今の社会では、オシャレで、ハイソで、インテリで、クールで、スタイリッシュな仕事が溢れているけれど、遥か昔から農耕・漁撈(ぎょろう)を中心に生活を成り立たせていた日本にとって、たったこの100年くらいで軽工業(繊維品加工など)から重工業に発展していった急成長の、一番シンガリを支えていたのは、炭坑マンが石炭を掘り続けてくれたお陰なんです。大きなビルも、船や飛行機もバスも、繊細な技術が必要な工業製品も、全ては「鉄の時代」を石炭産業が下支えした結果の産物。単調で、来る日も来る日も一心不乱に石炭を掘り続けた、炭坑マン、我々の先人達に、最大の敬意を表したい。たとえそれが生きていくための仕事だからとは決してひとくくりにできない危険な現場。蒸し暑くて、暗くて、孤独で…いつ落盤や粉じん爆発が起こってもおかしくない労働環境。それでもここに住み、この石炭産業を支えた、このまちの人達。私は彼らを、まぎれもない「勇者」だと信じて疑いません。

 

実際に私の祖父は、長野県出身。15歳で農村地帯のふるさとを飛び出し、一旦横浜の港湾施設で人夫業に従事、「九州の炭坑に行けば稼げる」と聞いて、初めてやってきたのが田川だったそうです。それから閉山までずっと炭鉱マン。閉山後も関連会社のブロック運搬をやっている姿、それだけを幼い頃に見た記憶があります。今はいない祖父、いつも歩き方に不自然さがありました。坑内の落盤事故を経験したからと、ちゃんと聞けたのは、私が炭坑節の活動に取り組み始めた頃でした。

そんな辛い記憶を呼び起こすような私の活動に、祖父はいつも笑顔で応援してくれました。

「頑張れよ」。私の最大かつ最高の支援者でした。

あなたが一生をささげた炭鉱のまち「田川」。

炭坑節、ホルモン鍋、チロルチョコに代表される労働後のご褒美=甘いお菓子など数々の炭鉱文化。炭鉱の町に住む人たちの笑顔、元気さ。炭鉱が閉山し、まちにその風景が消えかかってきた今だからこそ、あなたの面影を常に心に刻んで、このまちのかつてのアイデンティティーに多くを学びたいと改めて決意します。(最初の決意は2004NHK青春メッセージ(旧 青年の主張)で発信させていだだいてます、ここでは割愛。)

 

一般的な表現を用いれば、ブルーカラーの仕事。それでもこれを「最高にかっこいい」と思える自分になれたことを、心底誇りに思っています。

 

夫婦煙突見守るまちで 夢追い続けた地底の勇者

再び誇りをこの胸に 手を取り輪となり 夢を掘れ

(田川創作炭坑節CDR21 『煙突100年物語』より)

 

元気、笑顔、の要素が大事!一心不乱なひたむきさ、勢いも炭坑マンから学んだ姿勢のひとつ。

男くさい振る舞い(未だ研究中)、ヤンチャだけど憎めない感じ…現在の日本では男女平等が基本ですが、炭坑の坑内作業員は原則男性のみ、法律で女性の坑内労働は禁止されていたので。「今風」に偏り過ぎては本当の「当時」を再現できない、ウソの情報を知らしめることになる。泥くささも重要な要素。オシャレでインテリな要素は必要ない。声がかれるほどの大声で叫ぼうと、うっとおしいくらいにブース前を動き回ろうと、気持ちを込めすぎて全身でテーマソングを歌おうと、都会には似つかわしくない田舎くさいおしゃべりを見せようと、誰が何と言おうと、命を懸けて日本の近代化を支えた炭鉱マンのプライドを表すもの。「クール」では、この世界は表現し難いんです。私一人だけのものじゃない、地域のアイデンティティーを背負った証!むしろこれこそが地方創世の大命題かも!(飛躍し過ぎか?)

ローカル・プライド!地方が変えちゃいけないアイデンティティー!これが九州の田川だっ!!

田川ホルモン喰楽歩・イエロー兄さんでは、このスタイルを貫きます!