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周りには何もない田舎育ち、そもそもテレビゲームが嫌いだった私は、毎日、川や田んぼを走り回りながら遊んで過ごしました。お寺の床下に基地を作ったり、裏山に入って竹や木を伐り、それを振り回すあやしい剣術を編み出し、近所の男の子たちと遊んだり。しばらくすると飽きてそれらを放置。また新しい遊びを思いつきせっせと工作、そしてまた飽きて放置。…その繰り返しで山のようになった創作おもちゃ達。さすがに母親が激怒。「新しいもの作る前に、古いものを処分しなさい!」処分を考えて眺めていた時に、「あ!…これとこれを組み合わせたら…」使わなくなったおもちゃ同士を組み合わせると全く別のものが作れる!また楽しい!!そして出来上がった新おもちゃを皆に見せて、またみんなで遊ぶ!

こうした中で、「目の前にある何かと何かを掛け合わせたら、別の新しく楽しいものが生まれるんだ」という、気付きを覚えました。

 

近所で「遊びの開発役」を続けるうち、「みんなが喜んでくれることをやるリーダー」を自分がかって出ることが、むしろ当然という意識ができたのか、小学校高学年、中学校、高校と、生徒会活動に取り組むようになりました。学級委員を経て、気付けば役員に立候補をするようになってました。高校では、最終的に生徒会長を務めることになりましたが、この時の出来事が今にも大きく影響しています。

私の高等学校は、進学を希望する学生が多く通う高校でした。部活動なども活発に行っていましたが、

校内行事の中でも、文化部の花形イベント「文化祭」は、意外と簡素なものでした。2日間の日程で行われる文化祭では、主に各部の展示を中心として行われていましたが、一通りの展示を回れば、あとはものすごく長い自由時間ができてしまっていました。大半の生徒は教室や廊下でダラダラと時間を潰すことしかできず、この時間がもったいないなーと感じていました。

生徒会室で皆と準備の話をするうちに、「クイズ大会とか、やらん?」との声。

おもわず「展示ばかりやったら時間も余るし、そもそも、もっとイベントっぽいものが沢山あっても

いいんじゃない?」とその意見に同調してしまいました。「献血車を呼びたい!」「高校生クイズの真似、やってみたい!司会やるよ!」堰を切ったように、いろんなアイデアが飛び交い、担当の先生に直談判して、文化祭の改造計画は成功。各役員がオリジナルの企画を考え、そして当日の責任者として指揮を執る。各イベントに巻き込んだ友人も含めて、「生徒会執行部拡大チーム」の構成メンバー、約50人と文化祭終了後の視聴覚室で取った集合写真が、未だに私の手元にあります。

「みんなとアイデアを出し合い、いろんな人たちとひとつのイベントを作る」という感動を覚えました。