どんなにたくさん仕事をしても、どんなに真剣に物事に取り組んでも、どんなたくさんの人に出会っても、言動や好みが、いちいち全部中2レベルです。当社比イタい。イタい人間というのは、後天的にできあがるものではないのか真剣に生きていても、イタい人はイタいんだなあ具体的に言えば、ファッションも学生の時のままだししかもお洒落じゃない方すぐにテンパったり、無意識におかしいこと言ってたり、してたりして、後で反省することが多々失敗という、はっきりした事象に対する反省というよりは多分変な人だと思われた今の私気持ち悪いっていう自己嫌悪に近い。多分、狭い世界で生きてるからだ、きっと。もっとたくさんの出来事に出会って。もっとたくさんの情報を取り入れて。大きな人になりたいなあ。とりあえず、私がおかしな格好してたら、教えて下さい。あ、でも本人も。今日も私よくわからない格好してる何が正解だったのかわからない誰からも注目されませんようにと怯えながら着てきているので、その格好何があったのなどと、単刀直入に思ったままの感想をぶけると、ごく稀にですが、その場から逃亡する恐れがあります。可狽ネ限り、優しく教えて下さい。ふか者ですが、今後とも、何とぞよろしくお願い致します。んでは、今日も一日がむばってきます。
昨日4月26日ヤサカ女子寮退寮致しましたみんなから大好きっす私からはみんなに手紙1人1人思いを込めて書きましたみんな本当に大好きだったなあらぶかねの手紙見てうるうるじんでした。みなりかこなみまいこお見送りありがとうそしてゆかと出ていき夏美と合流新宿へεεプリクラ撮ってはなまるうどん食べてルミネ行って解散慣れない遊び方わからないでウケた2人とも大好きよ私は東京に来てそしてこのヤサカに就職して本当に良かったと思ってる本当にこの仕事は大変で輝かしい一面だけではない。バスガイドって一見華やかですごい職業だけど、やっぱりその裏にはいろんなたくさんの勉強や努力、築き上げる信頼や経験、人間関係がある。もちろん楽しいこともいっぱいで修学旅行の元気な学生たち、案内を頷いて聞いてくれる一般の方たち幼稚園の可愛いちびっ子たち1日という限りある短い時間のなかで今まで何百人何千人という人をお客様として迎えられた触れ合えることが出来て、私の案内を聞いてもらったこれってすごいことだと思う一期一会ってまさにこういうこと。本当にたくさん貴重な経験をしましたそして陰でも浮ナも支えてくれてたのはやっぱり同期こいら居ないと私は絶対やってけなかったきっとこれは49期みんなが思うことだと思うここは同期だけが味方だから、本当に大事だった存在は大きかっただからそんなみんなと同じ暮らしそして仕事が出来なくなると思うとやっぱり寂しいけど自分の私の決めた道なので後悔はありません楽しかった思い出とらくても頑張った経験がこれからの私をもっと成長させてくれるでしょうきっとこの道を辿らなければ出来なかったこと考えなかったこと出来なかった人そして働くということ親の有り難みを知るということ人の温かさ人の厳しさ知らなかったと思います私はスガイドという仕事にそして出逢えた一番のみんなに誇りを持てたと心から言えますーやっぱり文字を打って同期1人1人の顔が思い浮かぶけどそれを心に留めてみんなの検討を祈ります49期で良かったヤサカでバスガイドして良かったこの一年はデカかった最高の一年だった愛してます、ヤサカзみんなに負けないように、これからも突っ走っていくねー以上
今日は南海上にある前線の影響により曇りの天気で、所によっては雨が降る見込みです。気温は22度、湿度は82で、北の風がやや強く、沿岸の海域では波がやや高くなるでしょう。昨日、歴史文化ガイドの会主催の宮古の歴史講座第4回、史跡文化財めぐりが開催されました。前3回の歴史講座で学んだ内容に関連した史跡文化財を巡るツアーです。回った史跡は、①ドイツ皇帝博愛記念碑、②漲水御嶽、③仲宗根豊見親の墓、④仲屋金盛ミャーカ、⑤外間御嶽、⑥西銘御嶽、⑦飛鳥御嶽、⑧野原岳の霊石、⑨金志川豊見親の屋敷跡、⑩真屋御嶽、⑪明和の津波碑、⑫池田矼、⑬久知名御嶽、⑭大立大殿ミャーカ、の14ヶ所です。この中で最近明和の大津波が、東北関東地方に大きな被害を与えた東日本大震災により注目されています。1771年旧暦3月10日午前8時頃、石垣島南東海底を震源とするマグニチュード74の地震によって、宮古八重山は大津波に襲われました。津波は地震後2時間程して前後3回にわたって襲い、津波の高さは約40と言われています。南西方向から押し寄せた大津波は、その前面に比較的リーフが少なく、海岸低地にあった宮古島の宮国、新里、砂川、友利の4村の集落を襲いました。また、池間島の池間、前里の2村、伊良部島の仲地、佐和田、伊良部の3村、多良間島の塩川、仲筋の2村、水納島が襲われ、死者2548人、家屋の流出1054軒などの被害を出しました。宮国などの溺死者の遺体は、家屋の破片などとともに与那覇の浜に漂ってきたことから、与那覇前山に遺体をまとめて葬ったと言われています。その場所に建てられている明和大津波碑は、こんもり茂った木々の中にあり、石碑の楓ハに刻まれた宮國、新里、砂川、友利、三月藷咜蜥テ波などの文字をまだ読むことが出来ます、なお、震源地に近かった八重山では、9393人の方が亡くなったそうです。市文化財保護審議会では大津波から200年以上が経過しており、今後も起きる可柏ォがある。災害は忘れた頃にやってくると言われるので、大津波碑を市の文化財に指定して公開することで各自、各地域で津波対策を考えてほしいと述べています。