無題 | 古澤伸弥

古澤伸弥

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自分は子供の頃から母親の事が大嫌いだった。


殺意を覚えた事も何回もある。


でも現実問題そんな事が出来るわけがなく、代わりに自分が死ねば母親はわかってくれるんじゃないかと思う事もたくさんあったが、こんなくそヤローの為に死ぬのは何だか馬鹿らしいと思い実行はしなかった。


だから小さい時から家族に安らぎを覚えた事はなく、早く家を出たかった。(結果、中学卒業と同時に家を出る事に成功したんだが)

















あれから随分と時が経ち、その間やはり実の母親なんで何回も仲直りを試みたけど、一瞬関係が良くなってもやはりすぐに衝突した。


今まではそれでも父親が防波堤になってたんで、何とかやってこれた。


しかしその父親も一昨年亡くなってしまった。

















父親が死んでからは父親に対する恩返しの気持ちと、長男の義務感で覚悟を持って母親に接してきたつもりだ。


色んな人からの母親に対する苦情や、日々悪くなっていく母親の体調に関しても自分なりに真摯に向き合ってきたつもりだ。
















しかし今年母親がいよいよ実家に帰るとなった時の近所のアレルギー反応はとてつもないものがあったよ。


昨日はその件で区の生活保護センターに呼ばれ、近隣住民の方のクレームを一気呵成に受けた時はさすがに心が折れたよ。(内容も厳しいもんだったし。)


実家に帰って来てもらったら困るとあんなに強く言われたらもう打つ手がないよ。

でも全部我々が悪いんだけどね。だからひたすら謝罪だったよ。















そりゃ施設に入れられるなら施設に入れたいですよ。

でも現状医学的に施設に入れるレベルじゃないんですよ。

何より本人が頑なに入所を嫌がってるんですよ。(お金だって無限にある訳ではないし)













ある人は言いました。
"心配しなくてもいずれ死ぬよ"、と。

そりゃ1年、2年後の"いずれ"なら良いですよ。
頑張れますよ。

でも10年、20年後の"いずれ"だったら、僕は心も身体も経済的にも無事に持ちこたえている自信がありませんよ。

だってゴールがわからないんだもん。













今日は何だか非常に疲れたよ。

許されるなら母親を殺したいよ。

片方だけ死ねと言うのは筋が通ってないんで、その後は自分も後を追ってちゃんと死にたい。
その時は一緒にね。














こんな場所でこんな事を書いても何の解決にもならない事は充分にわかってるけど、何かに形にしとかないと心が持たなかったよ。














そんな感じかな