僕、家元です。
94年5月1日、この日は世界、特にブラジルと日本のF1ファンにとって衝撃的な日となりました。
94年F1世界選手権第3戦・サンマリノグランプリ。
この日に決勝レースが行われることをすっかり忘れて、僕は熟睡していました。
そして朝起きてテレビをつけると、フジテレビの三宅アナウンサーとF1解説の今宮純さんのお2人。
「あ、今日は決勝レースだった!」、が、当のお2人はとても神妙な顔つきでテレビに映っていました。
何か様子がおかしいなと思ったんですが、それから三宅さんが「非常に残念なニュースをお伝えしなければいけません」と言ったあと続けて
「アイルトン・セナが先ほど亡くなった」と・・・
最初は「えっ、何言ってんの、この人!?」って感じでした。
でもその後に、セナの乗ったウィリアムズのマシンがタンブレロコーナーでコンクリートウォールに激突、大破するのを見て・・・思わず目をそむけました。
言葉を失いました・・・。
あんな大クラッシュを起こしてそれでももし無事だとするなら、そっちの方がおかしい!と思うほどでした。
リアルタイムであれを見ていたら、僕は多分発狂していたでしょう。
それほどまでに凄まじい衝撃でした。
この年のサンマリノグランプリは予選から荒れていました。
1日目にはルーベンス・バリチェロが大クラッシュ、この時は鼻骨を骨折しただけで済みましたが、その翌日にはローランド・ラッツェンバーガーがヴィルヌーブコーナーで、マシンのフロントウイングが脱落したためにコントロールを失い、コンクリートウォールに激突して事故死。
こういうこともあって、セナはかなりナーバスになっていてマシンに乗るのを躊躇うような場面もあったそうです。
そしてこの日、セナは34歳という短い生涯を終えてしまいました。
古舘伊知郎さんは彼のことを「音速の貴公子」「白昼の流れ星」と言っていましたが、本当に流れ星のように逝ってしまいました。
亡くなって17年経ってなお、彼は世界最高のF1パイロットとして多くのファンに記憶されています。
記録はミハエル・シューマッハに抜かれてしまったものもありますが。
90年の開幕戦アメリカグランプリでのジャン・アレジとの攻防、レース終了後はマシンから降りられないほど疲労しながら勝利を収めた91年のブラジルグランプリ、マクラーレンに移籍してから勝てずにいたベルガーに最後の周回の最終コーナーでトップを譲り、勝利をプレゼントする形になった91年の日本グランプリ(これに関しては賛否両論あったそうですが)、89年から93年まで5連勝を飾り「マイスター」の地位を固めたモナコグランプリ。
しかしその一方で、プロストとの日本グランプリでの2年続けての接触なんてこともありました。
これもセナのF1パイロットとしてのプライドの高さ、プロストへのライバル意識が高じた末の結果だったのでしょうか?
彼の葬儀は母国ブラジルでは国葬として執り行われ、日本でも94年の日本グランプリで追悼セレモニーが行われるほどでした。
日本では本当に凄い人気のあったセナ、存命であったなら今年51歳、現役の選手としては引退しているとしても自身でチームを率いてグランプリ挑戦!なんてこともあったかもしれませんね。
音速の貴公子、アイルトン・セナの死を悼み、改めて合掌・・・
彼の死から2週間後に行われたモナコグランプリ、フジテレビが素晴らしいエンディングを製作してくれました。
今となってはこれ以上のものを望むのは、酷なことかもしれませんが・・・