7月15日 「愛のむきだし」 | 席亭こう生の落語的な日々

席亭こう生の落語的な日々

子供の頃からの落語好きが高じて、

いつの間にか落語会を主催する事に.....

全くの素人だった私がいかにいして

落語会を企画、運営しているのか

席亭こう生の落語的な日々...

千葉市文化振興財団と、美浜文化センターに

9月きぼーる寄席のチラシ、ポスターを持参


午後からは、DVD鑑賞


「愛のむきだし」 


鬼才 園子温監督作品


4時間の長編 

(6時間バージョンもあるらしい)


DVDは手元にあったが、時間と覚悟(?)がなく

中々観られなかった作品


プロローグからタイトルバックまで1時間!


アクション映画であり、サスペンス映画であり、

ラブコメ映画であり、社会派映画であり

純愛映画でもある本作品


日本映画の到達点と評されたのも理解できる


時間の余裕がある方は是非!


4時間がとても短く感じます




劇中、満島ひかりの

この映画のキモともいえる場面の長台詞


「新約聖書コリント使徒への手紙第十三章 」


最高の道である愛。

たとえ、人間の不思議な言葉、天使の不思議な言葉を話しても、

愛がなければ私は鳴る銅鑼、響くシンバル。


たとえ、予言の賜物があり、あらゆる神秘、

あらゆる知識に通じていても、愛がなければ私は何物でもない。


たとえ、全財産を貧しい人に分け与え、たとえ、称賛を受ける為に自分の身を引き渡しても、

愛がなければ私には何の益にもならない。


愛は寛容なもの。


慈悲深いものは愛。


愛は妬まず高ぶらず誇らない。


見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数えたてない。


愛は決して滅び去ることはない。


予言の賜物なら廃りもしよう。


不思議な言葉ならば止みもしよう。


知識ならば無用となりもしよう。


我々が知るのは一部分、また予言するのも一部分である故に、

完全なものが到来するときには、部分的なものは廃れさる。


私は幼い子供であった時、幼い子供のように語り、

幼い子供のように考え、幼い子供のように思いを巡らした。


ただ、一人前の者になった時、幼い子供のことは止めにした。


我々が今見ているのは、ぼんやりと鏡に映っているもの。


その時に見るのは顔と顔を合わせてのもの。


私が今知っているのは一部分。


その時には自分が既に完全に知られているように、私は完全に知るようになる。

だから引き続き残るのは信仰、希望、愛、この三つ。


このうち最も優れているのは、愛。