すっかり秋の景色になってきました。毎晩透きとおった虫の合唱がよく聞こえます。虫は声だけだといい感じです(私は昆虫全般怖いので)。
今年はもう既に二度栗ご飯を炊き、田舎に住む特権はこういうところにあるのだなぁと思ったりします。栗は皮むきが大変で、一度目は指を切りました。傷跡を見ると結構深く切れており、二度目は先に指にテーピングして皮をむきました。お店で食べるとご飯の中にちらほらと栗が見える程度ですが、我が家の栗ご飯は栗の中にご飯がちょろちょろ見える豪勢な(笑)ものです。しかし、都会で売られている栗の値段には驚きますね。そのうち、外国産の松茸がたくさん並ぶようになったら、香りのあるものを捜して炊き込みご飯を作りたいと思います。
さて、秋と言えば読書。まぁ、私にとっては年中欠かせない楽しみですが、秋は余計拍車がかかります。今年の春頃から読み始めて苦戦しまくっている小説があり、一旦それを避けて他の本を読み漁っていたのですが、その小説のことが常に気になるのです。よし、と思ってその分厚い単行本を手に取るのですが、少しでも間が空くとストーリーを忘れてしまい、数ページ遡って読み始めるので、余計前に進みません。さてどうしたものか?と思案していた時、「なかなか読み進められない本は無理に読まなくていい。ひとまず閉じて、月日がたってから再チャレンジすればいいのです」と書かれている文章を目にし、そのアドバイスに従うことにしました。長編小説の中にはどんなに長くてもサクサク読み進められるものもあれば、途中でどうにもこうにも進まなくなってしまうものもあります。私は基本的には読みかけで放っておくのは嫌いですが、今まで難所にぶつかって中断を余儀なくされた本がいくつかあります。
まず、村上春樹「ノルウェイの森」。デビュー作から順調に読み進んで、面白いなぁとずっと思っていたのに、これは上巻を読んだだけで挫折しました。読みにくいという理由ではなく、小説に出てくる直子というヒロインのうじうじっとした感じがどうにも嫌いで(苦笑)読みながら腹が立ち、下巻に手が出なかったのです。後年映画版を見ましたが、改めて読みなおそうという気持ちにはとうていなれず、そのままになっています。アンケートなどで好きな作家は?と尋ねられると村上春樹さんと答えますが、必ず(但しノルウェイの森を除く)と注釈を入れます。因みに村上氏の作品の中で一番好きなのは「中国行きのスロウ・ボート」という短編集の中の「午後の最後の芝生」です。
中断本その二は、浅田次郎の「蒼穹の昴」。こちらも上巻でストップ。これは面白かったのでいつか一から読み直したいと思っています。単行本が好きで、若い頃は単行本ばかり買っていました。読んだ後本棚にぎっしり並んだ重厚感が好きで、そのために単行本中心に買っていたのです。が、持ち歩くには重過ぎてついつい積ん読になってしまった作品がいくつかありました。そのうちの一つです。年取ってからは、気に入った本は文庫で読んでから本棚用に単行本を買い揃えたりもします。
仕事や家庭で大きな出来事が起こって本どころではなくなり、長い間読みかけになってしまった本もあります。それでも、東山彰良「流」や、梨木香歩「冬虫夏草」のように、再開したら即その世界にすんなり馴染めて読み終えることが出来た小説もあるのです。
今止まっている塩田武士「罪の声」は実際に起こった事件をモデルに書かれた小説で、主人公は二人おり、綿密に事件を追ったノンフィクション的な部分と、全く創作の部分とが合体した内容になっています。異なった視点で書かれた章が交互に現れ、私はノンフィクションが好きなのでその部分はさくさく読めるのですが、創作部分になるとページがなかなか進みません。よくテレビで、ある事件を追うのに再現ドラマが挿入されたりしますが、全部ドキュメンタリーでやってほしいと思う性質なので。六割がた読んでいるのですが、一から読み直す日は来るのでしょうか?