石清水八幡宮 | 歴史と文化と和の心♪

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こんばんは☆

本日はお天気も良かったので、石清水八幡宮に行って参りました('ω')ノ

京都府八幡市の男山山頂に鎮座する石清水八幡宮は、京阪電車八幡市駅からケーブルカーが直結しております。

・・・もちろん徒歩でも登ることが出来ますが、折角なので片道だけ利用してみることに(笑)

平日でしたので観光客も少なめ。

ゆっくり乗ることが出来ました(*´ω`*)

車内はこんな感じ。

程なくケーブルカーが動き出し、観光案内を聴きながら山頂へ。

徐々に見えてくる八幡市の長閑な風景はなかなか癒されます。

 

ちなみにこのケーブルカー、鉄橋としては日本一の長さを誇っているそうですね‼

男山山頂駅からぐるっと回って三の鳥居へ到着。

この鳥居の前には一ツ石と呼ばれる石が埋め込まれているのですが、この場所はかつて競馬の出発地点でして、「勝負石」と呼ばれる勝運の石なのだそうです。

競馬がお好きな方はご存知の方も多いはず(*´ω`*)

三の鳥居をまっすぐ進み、手水舎でお清めを済ませ

南総門を潜ります。

 

・・・ここで少し石清水八幡宮の由緒をご紹介いたしたいと思います。

石清水八幡宮は平安時代初頭、貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚が豊前宇佐八幡宮(大分県宇佐市)に籠って日夜祈祷を行い、八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との託宣を受け、同年この男山の峯に御神体を移したことが起源とされております。

 

この頃盛んだった「神仏習合」の影響を強く受けている神社ですね‼

 

承平5(935)年の「承平の乱(平将門の乱)」や、天慶4(941)年の「天慶の乱(藤原純友の乱)」の折に朝廷より請願があって以降、国家鎮護の宮として皇室の崇敬が厚く、天皇の行幸や上皇の御幸が度々行われ、実におよそ240回に及んだそうです。

 

・・・幕末好きとして天皇の「行幸」でまず浮かんでくるのは、文久3(1863)年の孝明天皇による攘夷決行祈願の行幸ですネ・・・(;´∀`)

尊王攘夷派の公家たちが企てた石清水八幡宮への行幸、この神前で上洛していた家茂さまに節刀を授け、攘夷決行を誓わせるという計画だったそうですが、家茂さまは体調不良で欠席。代理で供奉した慶喜さまも突然の腹痛でリタイアしており、節刀計画は失敗に終わっております。

 

『昔夢会筆記』の中で慶喜さまは「あの時は本当に腹痛だった」と言っておりますが・・・真意やいかに←

 

当の孝明天皇もこの時体調不良でリタイアしたかったそうなのですが、尊攘派の公家たちに無理やり引っ張り出され、不信感を抱いたといいます(そしてこの時元気だった尊攘派の公家たちは八月十八日の政変で程なく失脚)。

 

幕末史を語る上でも、欠かせないスポットとなっております。

さて南総門を潜ると、昨年国宝に指定された本殿が出て参ります‼

この奥にある本殿の2棟は現存する中で最古にして最大の八幡造でして、幣殿・舞殿・楼門・廻廊などによって構成されている社殿は古代に成立した社殿形式を保持しているといいます。

現在の社殿は天正8(1580)年、織田信長の社殿修復に始まり、天正17(1589)年の豊臣秀吉の廻廊再建、慶長11(1606)年秀頼さまによる寺社修復キャンペーン←(違)での社殿再建、そして寛永11(1634)年徳川家光による社殿造営を経て、今に至っております。

現在本殿を含む10棟と棟札3枚が国宝、摂社5社と総門3門の計八棟が重要文化財に指定されているといいます。

 

ということで、文化財建築をぐるっと見て参りましょう('ω')ノ

重要文化財 西総門(江戸前期)

重要文化財 東総門(江戸前期)

重要文化財 北総門(江戸前期)

京都府指定文化財 校倉(宝蔵)(江戸中期)

重要文化財 住吉社(江戸前期)

重要文化財 若宮社(江戸前期)

重要文化財 若宮殿社(江戸前期)

重要文化財 水若宮社(江戸前期)

・・・それからこの壁、どっかで見たことあるぞと思ったら、やはり信長塀でした←

その名の通り信長の奉納と伝わり、境内をぐるっと取り囲んでおります。

御神木は建武元(1334)年、楠木正成が必勝祈願参拝の折に奉納したと伝わる楠になります。

樹齢700年らしく、京都府指定の天然記念物となっております。

 

また、石清水八幡宮は先にも申した通りかつては神仏習合の流れを組む宮寺で、江戸時代までは境内に寺院建築も立ち並んでいたといいます。

現在は跡形もないですが、こちらは大塔の跡だそうです。

天永2(1111)年、白河法皇の御願で建てられた巨大な建物だったといいます。

こちらは小塔跡。

・・・これらの寺院建築は何故無いのかといいますと、明治になってからの神仏分離令で破却されてしまったのだといいます( ;∀;)

仏教暗黒期の時代・・・。この頃どれだけの文化財が犠牲となったことか・・・

表参道を少し下ったところには、江戸幕府の祈願所だった西谷宝蔵坊跡や

室町幕府の祈願所、橘本坊跡があります。

・・・石垣を見る限り、大規模な建築だったことが窺えますね・・・

ちなみに小塔跡前には、エジソン記念碑と呼ばれる石碑も立っております。

(・・・何故エジソン?)

と思いましたが、どうやら「竹」が関係あるそうです。

エジソンと言えば電球の発明で知られますが、この発光体であるフィラメントに八幡の竹が使用されたのだといいます。

その所縁で、エジソン生誕地のアメリカマイラン村と八幡市は友好協定を結んでいるそうですね‼

お参りを済ませ、山を下ると二の鳥居

一の鳥居が出て参ります☆

・・・下ってみると比較的緩やかでそこまで時間もかからなかったので、十分歩いて登れますネ(;'∀')

麓には、「頓宮殿」と呼ばれる場所があります。

山頂にある本殿などを「上院」というのに対し、こちらの麓にある諸殿社は「下院」と呼ばれます。

いわゆる天皇や祭神の「宿」にあたる場所でして、9月15日の勅祭石清水祭の時に山頂の本殿からご神体が御遷される重要な場所になります。

元々の建物は鳥羽・伏見の戦いの際に焼失してしまっているそうで、現在の物は近年再建されたものだといいます。

また、ここには巨大な五輪塔が建っております(゚д゚)!

鎌倉時代に建てられたものらしく、高さ6m(‼)、日本最大級の石造塔ということで、重要文化財に指定されております。

「航海記念塔」ともいうそうですが、刻銘が無く、造立の起源が不明なため、様々な伝説があるそうですね‼

・・・ちなみに石清水八幡宮が鎮座する男山の麓には、鳥羽伏見の戦いの際桑名・大垣藩の陣地だった念仏寺があります。

門前に「戊辰史蹟」と刻まれた石碑が建っておりましたね‼

境内には桑名藩士の墓も建っております。

最後に、石清水名物の走井餅を食して帰って参りました☆

ふっわふわのお餅にしっとりとした餡が入っていて絶妙なお味。お抹茶とも相性抜群でした(*´ω`*)

鶴岡八幡宮、宇佐八幡宮、そしてこの石清水八幡宮と、ようやく3大八幡宮を制覇いたしました←

まだまだ訪れたい寺社仏閣が数多くあるので、本日のような秋晴れを狙って、また訪れて参りたいですね‼

(*'ω'*)