等持院 | 歴史と文化と和の心♪

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こんにちは☆

前回龍安寺をご紹介いたしましたが、そのまま続き参りたいと思います。

 

龍安寺から一駅先にあるのが、足利将軍家の菩提寺・等持院です。

等持院は、足利尊氏が柳馬場御池(中京区)付近に建てた「等持寺」の別院として建立されたものになります。

尊氏が亡くなると墓所となり、義詮・義満の葬儀もこちらで行われ、足利将軍家の菩提寺として深い帰依を受けたといいます。

なお、応仁の乱において本寺である等持寺が焼失した後は、こちらが本寺となっております。

本堂(方丈)は文化5(1808)年の火災で焼亡しており、現在のものは妙心寺海福院にあった方丈(福島正則建立)を移築したものと伝えられております。

ちょうど大坂の陣直後の建物みたいですね‼

本堂入り口にはまたインパクト大な絵画が。

天龍寺派元管長の関牧翁老師が描いたものなのだそうです。

 

・・・思わず足を止めてしまいましたぞ(笑)

建物の内部へ入って参ります。

賑やかな龍安寺と打って変わり、ここは人も少なく比較的静かだったため、ゆっくりとした時間が過ごせます(*´ω`*)

方丈の東には室町幕府歴代将軍の木造を安置した霊光殿があります。

堂内撮影不可だったのですが、ほぼ等身大の木造(しかも何故か黒塗り)がズラリとならんでおり、実に圧巻でした。

 

が、しかし数えてみたら15人いないぞ!?(;'∀')

 

5代義量・9代義尚・10代義稙・14代義栄

この4名いらっしゃらなかったですね(管理人調べ)。

 

以前岡崎に行ったときに拝見した徳川将軍の位牌(等身大。大樹寺蔵)を思い出しましたが、徳川家も木像にしていたら・・・良かったのn(自主規制)←

 

ちなみに幕末、家茂さまが上洛する直前に尊王過激派がここから尊氏・義詮・義満像の首を持ち出し、三条河原に晒した究極の「嫌がらせ事件」は有名ですね‼

 

足利三代の木造、さぞや迷惑だったろうに・・・と、手を合わせてまいりました。

そして家茂さま、さぞや怖かったでしょう・・・( ;∀;)

さて、霊光殿をお参りした後は、庭園を散策です♪

「風色雄雅」と評されるこちらの庭園、芙蓉池は夢窓国師の作と言われます。

誰もいなかったので、のんびりと・・・

ふと、庭園の中に宝篋印塔を発見。

何と、足利尊氏の墓なのだそうです‼

 

えーーー!?こんなところに‼(;゚Д゚)

 

とよく見てみると、台座の部分に「延文三年四月」の文字が。

延文三年・・・1358年ですね。足利尊氏の没年と一致します。

 

源頼朝の墓もそうでしたが、幕府の開祖って割とひっそりとした所に眠っておられますね・・・(家康は例外だが)。

また、方丈北背の小高い部分に茶室を発見。

清漣亭と呼ばれる茶室は長禄元(1457)年に建てられたもので、義政好みの設計と言われております。

煌びやかな室町前期の風とは違い、侘び寂びな東山文化のそれを思わせます。

それにしても・・・落ち着きますねぇ(*´ω`*)

日本文化の心髄が、ここにあります。

また、¥500でお抹茶と等持院銘菓「芙蓉の月」をいただくくことができます♪

芙蓉の月は、程よい固さのもちもちとした皮にしっとりとしたこしあんが入っており、絶妙な風味を醸し出していてお抹茶とよく合うお菓子です☆

本堂の縁側に腰掛け、庭園を眺めながらいただくお抹茶・・・。

何とも贅沢なひとときでした(*´ω`*)

そんなこんなで、等持院でいただいた御朱印です(*'ω'*)

 

 

 

現在「剣豪将軍義輝」など室町幕府の将軍たちも注目されてきておりますね‼

考えてみれば、文芸オタクに刀オタクなど、室町将軍も実に個性的な方ばかり。

これを機に、また色々勉強したいと思います(・ω・)ノ