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80年代、好き嫌いは別として、映画のオールジャンルで一番インパクトあったのは原一男監督の87年『ゆきゆきて、神軍』でした。
これ世界的に評価されてるドキュメンタリー映画で、多くの映画ファンの方は観ていると思います。
私は『ゆきゆきて、神軍』を観てから、ドキュメンタリー映画が判らなくなりました。作為的でもあり、同時進行の事件告発型で、驚きます。
80年代前半には、小川紳介監督の82年『ニッポン国古屋敷村』では自然との関わりと人の業の悲しい歴史がかいま見え、これは知らない日本と人々の営みを知り感じる事ができました。
又、83年小林正樹監督『東京裁判』では、膨大な歴史的資料のフィルムから浮かびあがる真実だろうと感じるモノがありました。
ドキュメントは演出でなく、対象となるもの記録素材をそのままの対象の時間軸で撮り、それを編集することで作為的なテーマが創られると思います。更に、そのテーマがないとドキュメントにもならないとの思いです。
『ゆきゆきて、神軍』は強烈な対象に負けないぐらいの演出がありで、スキャンダルな事件で非日常、一般ピープルでしたから、かなりカウンターカルチャーになってしまいます。
94年『全身小説家』となると小説家井上光晴の末期癌の状態のなかで、彼の経歴・生きざまに関しての記録としてドキュメントですが、演出のある回想映像のある劇映画風でした。
これはフィクションとノンフクションの境の無い物語で原一男監督の才能に再び感銘し、映画の演出・物語を問うキッカケをさらに私に与えてくれました。
さらに『全身小説家』が凄いのは、意図するもの以上に主人公の虚を炙りだしてしまったのです。
原一男監督の74年『極私的エロス 恋歌1974』、87年『ゆきゆきて、神軍 』、94年『全身小説家』は一筋縄でいかない、私は簡単にドキュメントとは呼べない“映画”を撮リ、私達の観せてくれる監督・作家と思っています。
2000年代から、アメリカのマイケル・ムーア監督のように、ドキュメンタリー映画監督+ジャーナリストでの作為的ドキュメント映画は売れる(皆さんに観ていただける)ジャンルにもなりましたが、日本の監督でも、このような売り方・見せた方もありかもしれないですね。
そうすれば、製作資金は集めやすくなりかもしれません。
と云うことでプロモで1999年にマイケル・ムーア監督はPVでも、やらかしてくれてます。
これはこれで凄いです。
Rage Against The Machine - Sleep Now In The Fire
音楽ブログをしております。
ご興味ある方は読んでいただければ幸いです。
【騙されるな! ロックを聴いていれば全てお見通し】
http://ameblo.jp/wsuki2001/
私は、映画業界、特に興行・宣伝に関わる仕事をしてきましたが、今度は映画を創る人、出演する人、手伝う人を応援する仕事を致します。
志命と思い、皆さんの作品が皆さんに観やすく、公開される事に努めます。




