伊藤博文は、明治42年(1909年)韓国統監辞職後、ハルビン駅にて安重根に狙撃されます。


3発の銃弾に倒れた伊藤博文は、「俺を撃ったりして馬鹿なやつだ。」と言います。


そして、のちの朝鮮は、伊藤が案ずる通りになります。


国家が破綻状態ゆえ保護国化はやむおえないとするものの併合には慎重であった伊藤の死が、日韓併合賛成派を勢いづかせ、韓国は完全併合されてしまったのです。


因みに伊藤は日露開戦慎重派でもあります。🌻✨






義の道を相外(はづ)したる人あれば連れ戻しまし悔ひを残さず をさむ