「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
ここにどんな神様がいらっしゃるのかは存じ上げませんが、こころに染み入るようなありがたさが込み上げて、知らず知らずに涙がこぼれてきます。
これは西行法師が伊勢神宮を参詣した際に詠んだとされる歌です。
次はその法師を尊敬する芭蕉翁が唐招提寺を参詣して詠んだ句です。
「若葉して御目の雫ぬぐはばや」
みずみずしい若葉にて、鑑真上人のみ目の雫を、拭ってさしあげたいものです。
それぞれ私の好きな詩歌のうちの一つです。
これらは詩的センスが良いというだけでなく、神仏に向かう素直なこころが感じられて、なおさら惹かれるのです。
どの宗教にも属さない私ですが、信仰心がないわけでもありません。
「新約聖書」を三回、「旧約聖書」を一回読み(ただし祭壇への供え物が列挙されているページはとばしました)、鈴木大拙和上の「禅と精神分析」及び和上の「禅談集」も読み、それぞれに感動しました。
大事なものが得られないとき、大切なものを失うとき、又はそれらを得るとき、そして命を思うとき、神仏の尊さを思い出します。
神の存在に確信が持てないときもありますが、存在するものとして、残りの人生を歩むことを、決めた私なのでした。
明日にも庭は消ゆるぞ梅が鳥家主が灰は沖に撒かれて (をさむ)