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デップのブログ

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久々の更新です。

中之条ビエンナーレ2019が始まりました。

共感に値する作品を個人的に挙げてみたいと思います。

 

 

『同一性と差異』  稲垣立男+法政大学国際文化学部稲垣ゼミ

会場  もりやま

 

 

 

この作品には①1分を数える、②ノルウェーの森を読む、③駄菓子を食べるという複数の人たちに3つの同じことをしてもらっている映像が流れています。これが「同一性」、しかし同じことをしているうちに一人一人に違いが出てくる。それが「差異」。

社会とは、結局そういうもんなんだ、ということがわかります。個性を集団に没するということがいかにくだらない、ということ、に気づく作品でした。

 

 

 

『トラヤ コレクション』   蓮輪康人

会場  トラヤ

 

 

 

トラヤとはこの地域にある婦人服衣料店でもう閉店しています。トラヤの服でファッションショーしている映像が流れていて、地域のご婦人のトラヤへの思いをインタヴューした映像引き続き流れます。

この作品はアート、人、地域、思い入れ等を一本の複雑な線でつなぎ合わせたものだと思います。

ボクが非常に気に入った作品のひとつです。             

西島 雄志   『空』

会場 長英の隠れ家「湯本家」

 

 

                  

 

 

 

 

空とは「そら」のことなのでしょうか?

 

ボクは般若心経の色即是空という仏教の考え方の空を想像しました。

 

色とは存在、ていうか物質や現象の実体のことで空とは永遠不滅の実体はないという考え方、確かそんなことだと思いました。

 

平家物語の冒頭の部分の「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」もこの思想に基づいたものだと聞いています。

 

はじめの画像は『空』そのものを表現したかったのか?

 

だとしたら、的を得ている表現です。

 

次の画像は鹿という実体ができています。

 

最後の画像の鏡は何を意味しているのでしょうか?

 

ボクには時の流れを象徴しているように見えました。

 

構成要素と空間配置と構成がすべて考えつくされている作品です。

 

この3つの画像は蔵の中に展示していたのですが、蔵の外には完全体の鹿が展示してありました。

 

鹿は鹿にあらず、仏教の理を表現した傑作だと思います。

1 ヤン・シャオマン   『合理性は正しいか?』

  会場 旧沢田小学校

 

         

 

床一面に描かれた現代のボクたちの生活には欠かせない化学製品の化学式。

これらは本当に『欠かせない』のでしょうか?というのが作品のコンセプトになっています。

時間をかけて熟成していくものもその構成を分析してしまえば添加する物質がわかってしまう。

その物質を加えれば時間をかけずにできてしまうのが今日です。

それが正しいのか正しくないのか?

グローバリズムが進むこの地球では正しい判断で合理的なことなのでしょうが、

世界規模でその流れに反対の意を唱え始めているのではないでしょうか?

中国の作家で思考は日本人に似ていると思います。

その考えは別のある意味で合理的です。

考えさせられる作品となっています。

 

 

2 オリ・ゲルシュト   『黒でもなく、白でもない』

  会場 旧沢田小学校

 

この作品は映像作品で画像はありません。

映像はアラブの村イクサルをナザレのユダヤ地区の丘より夜明けとともに朝陽の光で白くなっていく様子

を撮影したものみたいです。

イスラエルの作家なので、少し嫌なことをイメージしてしまいました。

ナザレはイエスが教えを説いていた場所。そこから見たアラブの村が真っ白になっていく。

アーティストですから極端な右思想では制作していないと思います。

むしろその事情を知らないボクたちに世界ではこんなことが起きているのだ、ということを知ってほしい、

そして考えてほしい、という作家のメッセージとしてボクは捉えます。

 

 

3 鈴木のぞみ   『Mirrors』

    会場 沢渡別邸

 

      

 

                              

 

様々な人たちが使っていた鏡がその人たちを記憶に残している。

まるで残像のように。

果たしてこれは人の記憶なのか、それとも鏡自身の記憶なのか。

最近、モチーフで記憶を扱うような作品が増えてきて鏡はその構成要素としては見る者にイメージしやすい要素だと思います。

理屈抜きで個人的に好きな作品でしたので記事にしました。