熊本の大震災も大惨事で、大勢が生活に困窮しています。

心温かな多くの支援があり苦しい中にも希望があるようです。

 

今回も生と死を再考させられました。

余震で家が傾き翌日の本災で倒壊し途方に暮れた5人家族がニュースで映し出されました。長男は高校でボランティア活動を、末っ子の小学生は久しぶりの授業で「生きるとは?」という課題作文で「生きるとは家族みんなで一緒にご飯を食べること、そんな当たり前のことが大切だったと気づきました」と発表していました。

涙がスーとあふれ止まりませんでした。

この子の父親も映像を見て「こんな大変なことになって希望もなくなったように思えたけど、この子達がこんな風に感じていてくれたなら、まだ良かったかもしれない」と語っていました。

 

苦は単に苦るしいだけでないような気がします。

もちろん耐えがたい苦痛はない方がいい、なくした方がいい。

生と死のギリギリの中で苦だけに終わらず希望を絶やさないことが大事。

 

見ざる、聞かざるで過ぎていく時代は終わり、誰もが生と死を身近に感じるようになった感じがします。

私がお会いしたがんの患者様の場合は、ただでさえあわただしいこの世の流れからいきなり放り出され、どうしてよいか途方に暮れてしまったそうです。突然抗ガン治療は効かないと宣言され緩和ケアに回されたといいます。生きるために何とか食らいつき頑張って遅れまいと必死であったそうですが、何気ない医師の宣告がかなり応えたようで、そんな自分を嫌になり、がんを憎んで、周りを憎んで、自分を見失って彷徨ったといいます。

 

緩和ケア病棟に入ってくる方は確かに病態が厳しい方が多いので、自分の気づき(アウェアネス)を得るのに遅すぎた感を持たれる方が多いようです。でも人生のどのような時期においても立ち止まり悩み自分を振り返りということは大事なことで、そこから新たな気づきと発展の第一歩となりますので、どんな時でも遅すぎたということはないように思えます。

 

ただこのような自己を見失っている場合、表在の自分に余裕がないので、内なる自己を再発見し、新たなステージに向かうには少し手間がかかります。どんな立派な講釈も教えでも瞑想でも、痛みや苦しみの前ではたちゆきません。痛みや身体的な苦しみは緩和ケア的に何とかします、が心の迷いはなかなか難しいようです。

 

自分に迷い混沌を彷徨って出口を必死で探しながら、いろんな他人の意見や考えに右往左往し、却って自分を見失い、益々泥沼に嵌っていくことがあります。

 

こういう時こそ他人を頼りにしながらも、他には嵌ることなく自己を見失わないように、いつもどんな自分であったとしても自分を信じること、が大事なのかなとお伝えしています。

 

内なる自己は表在の自分が勝手なことをしていても影のように忘れずに守ってついてきてくれ何かしらのアドバイスを知らず知らずのうちに与えてくれているのだと私は感じています。自分を見失いそうでも真の自己は決して見捨ててはいません。逆に頭や感情、理屈で答えをひねり出そうとか、たたき出そうとするとうまくいかないことが多いように思います。また自分の嫌なところ、醜いところなど粗探しをしてしまうと、益々内なる自己とは疎遠になりそうです。

 

自分を見失う時でも内なる自己は気にかけて守ってくれているのですから、先ずはこんな自分でも信じようと決め、そんな自分を好きだと思いこんでみて、次に自分を磨き上げようと集中していきますと、内なる真の自己との一体感が生じて、どうも苦の渦から抜け出していくと思うのです。

 

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 糖質を絶つ食事療法は注目されているが理屈と実証で説明されるとなるほどと思ってしまう。動物が活動を行う上で必要なエネルギー産生をわかりやすく解説して、正常細胞とがん細胞のエネルギー供給メカニズムの違いを明らかにして、食事療法でがんを治療する展開を説明している素晴らしい本だと思う。

 

もちろん、この食事療法をするには条件にあった人しかよろしくないが、科学的根拠に基づいた代替療法としては手軽に行える画期的な方法ではないかと思われる。

 

正常細胞は酸素を用いて効率的にミトコンドリアで糖質から好気呼吸系のTCA回路を回してエネルギー産生を行うのに対し、がん細胞は嫌気性解糖系が発達し酸素があっても酸素を使ったエネルギー産生を行わず、ブドウ糖の取り込みが正常細胞の何十倍にも増加しているらしい。

 

ブドウ糖を枯渇させ脂肪を燃焼させてエネルギー産生に回していき、ケトン体を利用して正常細胞が活動を維持できるのに対しがん細胞はケトン体をエネルギー変換する酵素活性が低下しているためエネルギー産生をおこなえないということを利用した食事療法ががん細胞を兵糧攻めにできるという作戦だそうです。

 

メカニズムを利用した薬を使わない抗ガン代替療法も進んできているのですね。

こうしたことをあまり医師は真に受けていないようですが、一理はあるような気がします。

 

がんで悩まれて何とかしたいという方は大勢いらっしゃると思いますが、変な代替療法やリスクのある抗ガン治療にも抵抗感のある方には良い方法かもしれません。

 

4月は忙しくてなかなかアップする機会がなかったですが、本はたくさん読破しておりこれからも有益な情報は提供したいと思っています。

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当院は毎年17人程度の研修医師が入職する。今の時代、厚労省の医療政策でマッチングという方法で病院を選択してくるのだが、うちの病院は愛知県では人気の病院のようで優秀な医師が多い。新臨床研修制度が始まって7年ぐらいたとうか、いやはや優秀。

 

我々25年以上前の時代は本当位にいい加減な研修だったなあと思う。不真面目ではないが、これといった指針も目安もなく、見よう見まねで先輩医師の口や手を見ながら患者さんに申し訳けないなあと思いながら医療行為をしてたもんだ。あの当時、今のようなマニュアルやガイドライン、診療の方法などを書いた本も少なく、ましてやシュミレーション機器などは全くないし、CTやMRIといった新しい検査機器がやっと導入された時代だったから、ポンと現場に投げ出されたようなもんだった。

 

実は本日新人研修医にガイダンスをする機会をいただいたので、少し書きたいと思う。新人研修医は優秀で、意見もよく出るし訓練されている感じがした。自分に関してはいろいろできるような気がする。だから、これから研修医の人たちが困ることの多くは自分で解決ができない問題だと思う。というのも社会に出て困るのは、社会に出て初めてといっていいだろう、知らない人たちとの接し方、対応の仕方だから。ま、これはサラリーマン社会でもいえることだろう。しかし医師の場合は若手でも医師として患者に処置や指導をする立場に立たざるをえないことがあるから相当なプレッシャーを感じると思う。

 

新人ガイダンスで講義したことは、コミュニケーションが大事ということだ。

 

今では新人サラリーマンに対して、会社研修でさまざまなアプローチがなされている。そこでも大事な要素はコミュニケーションである。自分で何とか対処できる問題は良いのだが、医師の場合、他人の命がかかった、他人の問題を解決に導くお手伝いをするわけだから、他人とどう接し、治療効果を上げ、解決に導くかは非常に大事な試練となる。

 

コミュニケーションの基礎はどこに行っても同じ、学ぶ上での基本パターンがある。先ず第1印象をどう受け止められるか他人目線で考えてみる訓練が必要となる。現場での第1印象が患者が受け取る評価の8割を占めるといわれているから、馬鹿にはできないということになる。汚い白衣や行為は医師として疑われることにもなりかねない。二番目にコミュニケーションのあり方がポイントだといわれている。第1印象をクリアしてもコミュニケーションに失敗すると医師患者の信頼関係は構築できないから治療にも影響する問題だ。コミュニケーションの基礎は「あ・い・う・え・お」だ。愛情やアイコンタクト、あいさつなど様々な"あ”が思い浮かぶが基礎編ではあいさつとしよう。"い”はいたわり、慈しみの心など、考えればいろんな「あいうえお」になって異論もあろうが、新人研修医には、あいさつのあ、いたわりのい、うなづきのう、えがおのえ、おうむがえしのお、とお伝えした。第一印象やコミュニケーションのノウハウが現場でまず手っ取り早く対処できたとしても、医師に欠かせないコミュニケーションの根底には、簡単そうでいつまでも難しい共感傾聴がある。共感や傾聴はこちらの方で受け入れますよと、オープン・マインドにもっていかないとなかなかできないから難しい技法といえる。患者さんが体やこころの状況を素直に語ってくれないと問題解決に至らない。相手に寄り添いながら情報を収集する能力を上げることが問題解決に直結する。

 

新人研修医には、社会の現場に出ると自分ではどうにもならない対人関係の問題をどう解決・解消していくかが、知識や技術の習得以上に難しい問題であることをお伝えした。

 

なんやかんやで、立派に育っていくから教育って素晴らしいし、とても大事なことだと実感している。頑張れ!新人諸君。

穏やかな春のいい天気を迎えた緩和ケア病棟の朝

 

朝からナースたちがデイルームの模様替え

もう10年もここに住み着いているうさぎのぬいぐるみカップルがひと休みしているところがほのぼのして記念撮影した


のんびりと穏やかに時間が少し留まってくれているような空間を演出してくれたナースに感謝

 

当院の緩和ケア病棟ではドックセラピー(←シャネルの動画)ずっと行ってきました。

犬との触れ合いをただ楽しむだけですが、末期のがん患者様にとっては心理的に大きな効果をもたらしました。犬は何も言わないけれど患者さんの気持ちをお見通し、こころを和ませ安堵を与えてくれます。小児病棟の子供たちも外科の術後の患者さんも肺がん末期の方にも楽しいひと時を提供してくれます。スタッフは一休み入れながらも患者さんと一緒になって犬のお話ができ、普段病室では見せない患者さんの柔らかな表情に驚きつつ、スタッフ自身も笑顔になっていきます。犬を介して共有の時間を過ごすことで、病院とは違う時空に溶け込み、双方にストレス軽減をもたらしてくれたようです。

 

アレルギーや飼育などアニマルセラピーには問題点もあるので、病棟で動物を飼うことはむずかしい面があります。提携している施設で教育された専門のセラピー犬は病棟内では吠えることもなく、水を飲むこともなく、排泄するなどもってのほか、体はきれいで衛生的ですし、カウンセラー顔負けにひとに寄り添い、きっちりと仕事をしていきます。

 

下半身が麻痺になっても笑顔で来てくれたセラピー犬のシャネルはみんなに笑顔と生きる喜びを教えてくれました。「大切な人にありがとう、好きだよ」と微笑みかけてくれたシャネルは(上の写真、アマゾンでも買えます、宜しく)が出来上がる前に天使になって逝きました。

 

 ドッグセラピーは患者さんだけでなくスタッフにも癒しをもたらし、緩和ケアの質を確かに向上してくれました。

 

みんなに愛されて逝ったシャネルにこころから感謝します。

死に逝く人は亡くなる前に夢を見ることが多いようです。旅立つ夢やお別れの挨拶は定番といえます。

 

かの偉大な哲学者ソクラテスが不当な裁判の末に死刑を告げられ毒をあおる前に見た夢も美しき幸福の地とされる「プティアの地」へ航海の旅に出るというものだったそうです。

 

旅立つ夢は必ずしも死を意味するわけではなく、環境の変化や人生の過渡期も意味するものですから、ソクラテスの昔からそういわれ、フロイトの夢判断で旅立ち=死みたいに言われると確かに、多いような気もします。(フロイトがあまりにも強調したために旅立ちや航海の夢は縁起でもないと思われますが、最近は夢判断の解釈が広がっているようです。)

 

ソクラテスが夢で航海に出る先の「プティアの地」は古代ギリシャのホメロス叙事詩に出てくるアキレスの故郷です。アキレス腱で有名なアキレスはトロイ戦争に行き、唯一不死の水を浴びていないアキレスを射抜かれて死んでしまうそうですが、アキレスの故郷「プティア」は美しき幸福の地とされています。ソクラテスも死の間際に毒殺や知識人の揶揄に合いながらも、自分の説を信じ、逃げずに、よりよく自分らしく生きるために自ら死を選んだといいます。その純粋な死の先に「プティアの地」に行けるのであれば辛くはなかったでしょう。

 

厳かに静かに逝かれた人を見ていると、よりよく生きた結果に「プティアの地」にいけるという様な安堵が夢の中で得られたのかもしれません。

 

緩和ケア医によるこころのリラクゼーション・ルーム

「先生はなんかいろんな宝物をお持ちですね」と声かけられた。

皆さんは自分の宝物は何ですか?答えられますか?

 

私はう~んと悩んでしまい、ハイともいいえとも言えないで、返事に窮してしまった。宝物とは物的なことではなく、話の流れからすると強みというか長所というか、そんなことらしい。私のことを褒めてくださって言っているとしても、宝物って言われると、逆に宝物ってなんですか?って聞きたくなる・・・しまった、聞けばよかった。他人から見ると、宝物があるようにみえるんだろうか?そうした宝物らしきものが全くないとも思っていないが、私の宝物っていったいなんだ?ってそれからずっと気にしている。

 

他から見た宝物なんて、結構まがい物だったなんて、よくあることだろうから、そういう他人の評価は良しとして・・・自分にも他人にも「これが私の宝です」って誇れるものが・・・すぐ出てこない・・・ということは、そのことを考えたことがなかったからだろう。

 

50もとっくに過ぎて、過去を振り返った時に、これが私の人生です、これを達成しました、これが私の大事な宝物です、なんて・・・言えない。思いつかない。なんか寂しくなってきた・・・。一生懸命生きてきたけど・・・なんかこの一言は胸に刺さったとげのようだ・・・早く取ってしまいたい・・・

 

これが私の宝物ですって胸張って具体的に提示して言える人はうらやましいなぁ。

 

あなたの宝物は?

レバレッジ(Leverage)とは最近時々心理学の分野でも出てくる言葉ですが、もともとはこれも経済学用語です。株取引をされている人はよくご存じの外為取引における「てこ効果」で、少ない投資で他人の力を借りながら大きな利益を得る法です。

 

私は投資は全くしませんのでFXについてはわかりません。ただ、心理学の分野でも最近レバレッジという言葉はよく使われますが、がん患者さんのように(あるいは高齢者にも当てはまると思いますが)、自分の思うようには体が動かなくなってきたが頭はしっかりし自律し意思決定もできる方には良い知恵だと思っています。自分の力では限界があると感じたなら、便利な福祉器具や他人の力をうまく使った方がいいですよ、ということをお伝えしたかったのですね。それは単なる利用ではなく、相互のコミュニケーションを生み、孤立や孤独を回避することにもつながるからです。

 

意地を張って自分で何でもしようとすることは、老化を抑え、ADL(日常生活動作)を保持する上で大事な気構えであると思います。しかし、厳しい状況に傾きつつある場合は、他力を当てにして、自分の少なくなった力を最大限に生かそうとすることはまさにレバレッジであり、効率が良いと思われます。

 

加えて、他人や物をうまく活用することは、コミュニケーションです。自力で頑張ろうとすることはもちろん大事、一方で他力も活用することも大事。そこにはコミュニケーションが発生します。他人の力を頂戴することには申し訳けなさや不甲斐なさ、恥辱もあるでしょうが、感謝の念も起こります。

 

この感謝がまたコミュニケーションを促します。必要で、助けてほしい時に優しい援助を受け入れることは素直に受けるべきだと感じます。コミュニケーションができなくなった時は孤独と孤立に陥り自分の力だけではもうどうにもならなくなります。逆にうまくいけば、その御利益を手助けした人に還元すればよいのです。「ありがとう、助かった」と。

 

すべての人に当てはまることかもしれないが、自分ではどうにもできない状況に追い込まれたときは、レバレッジを狙ってもらいたいと思う。