わたしは初老に手が届いたのにもかかわらず、
嬉しくても、悲しくても、楽しくても、悔しくても、
感情がダダ洩れで、すぐに泣いてしまうんです。
心の機微みたいなものが、機微ではなく、振り幅が大きいとでもいうのでしょうか。
先日娘の音楽発表会があったんですが、別に娘が発表しているわけでもないのに、
一生けんめいに歌っている子供たちを見ると、涙が溢れてくるんです。ウソみたいだけど。
また音楽と相まって、余計に感極まってしまうんです。
運動会もそう。
なんなら、参観日でも。
思い起こせば、自分が学生時代だった時の合唱コンクールとかも、
自分で歌いながら涙が流れて来ていました。
今でいう所の ヤバい奴 です(笑)
理由は分かりません。
ただ、その歌を歌う子達、演奏する子達、音楽を作った人の気持ち、その人たちの気持ちが乗り移ってくるような。
一生懸命練習したんだなとか、
運動会、1位でも最下位でも一生懸命走ったね、
あなたたちみんなに一人一人にドラマがあるんだな、とか考えると、
考えるというか勝手にそういう思考になっているようで、何か分からない感情がどばーっと流れ込んでくるのです。
そんな自分が嫌でした。
苦しいし、恥ずかしいし、人に気付かれたくないと思って隠して来ました。
面倒くさいのも苦手。
感動から離れたい、遠ざけたいと思ってきてました。
ただ、心の奥底で実は感動をみんなで味わいたい、一人ででもじっくり味わって
生きているって実感したいと、そう思っているんだなって、気づいてしまいました。
さて、本題。
自分の家を持ったら、
何か、自分でお店だったり、手仕事だったり、そこで仕事をしてみたいと思っていました。
それは、もう私が小さい頃から。
いつの間にか、そんな気持ちは遠ざけていましたが、
いざ、家を建てるとなった時、蘇ってきました。
だからこそ、庭を広くとれるような土地を選んだのでしょう、きっと(今から思えば)
そして、その私の居場所だったり、、誰かの居場所になったりする、そこ で
感動して生きていきたいな、暮らしていきたいな、と思ってしまったのです。
そして、図書館でこちらの本を読んで、
あぁ、そうだな、こんなお店をしながら暮らしていきたいな、とぼんやり思ったのです。
人と関わるのは面倒くさいこと、
ましてや、やっかいな人々と関わるのはもっと面倒。
でも、
人と交わり、嫌気がさすこともあるかもしれないけど、喜びだってきっとある、
そんな暮らしができたらいいな、なんて思ったりもします。
こんな感じが、夢のマイホーム計画 だっていいんじゃないの?と思うのです。
さて、
今日は娘と、近くのメルヘン公園にピクニックに行きます。
カフェがしたいとかなんとか言ってても、料理が苦手な私のピクニックランチは、コンビニのおにぎりですが・・・