私は常日頃、建築士は通訳のようなものだと
言い続けています。
クライアントが望むことを、自分の知識をと美学をもって
設計しますが、自分の流儀を押し付けてはいけないと
考えています。
あくまで「建築」という言葉を操れない
クライアントの代わりに聞き取り、策を練り、
形に表現するのだと。
そこには人生や感情のデザインも含まれているのだと
思うのです。
『感情』と書きましたが、私は感情をとても大事にしています。
懐かしい、明るい、ふと外を見たくなる、隣に座りたくなる、
気持ちが昂る、非日常に浸る。
住宅か店舗等、用途によって異なりますが
形は感情の結晶です。
設計事務所に来るクライアントの中には
設計事務所は怖いところだと思っている人も多くいます。
普通の家は建てられない(?)建てて貰えないと。
そういう方は『普通の家でいいんです。』と最初に
仰います。
私にはその気持ちが分かる気がします。
建築というのはオーダーで唯一無二ですから、
どんなに普通に見えてもクライアントに帰属するものです。
ただ建築士に任せるとその『帰属』の部分も絶たれた
びっくりするようなものが出来上がるのではと
不安になるのでしょう。
そういうものは『アート』なのだと思います。
人を不安にさせたり、安楽でないものを求めたり
法に触れずそれをやってのけるのがアートです。
世界の中でただ一人にしか受け入れられなくても、
それはちゃんと存在意義を持っています。
じゃあ、デザインは何だろう、と私は考えます。
デザインだって万人に受け入れられるものは無いのでしょう。
でも例えばピクトサイン。見やすく、認識しやすいのは基本として
それが人を少しだけ笑顔にするものであればいいと思うのです。
窓であれば高窓から差し込む朝日が子供の横顔を照らしたとき、
そこに時間が止まる様な気持ちを覚えてもらえたらよいと
思うのです。
それは偶然にも頼りますので、すべてを計算して仕込むことは
出来ませんが、それが出来るのがデザインだと
思います。
大げさな言い方をすれば
デザインは人を幸せにする。
時にはデザインは正義だ。
本気でそう思っています。
ツボクラナミ