松江に暮らしていると
いやどこに暮らしていても
家をどうするか、という問題は
いつもそこにあるのだと思う。
昔であれば、家は受け継がれるもので
その過程で歴史を重ね、建て替えられ受け継がれていく。
調査などに行くと、古い過去帳を見せて頂いて
何代目の誰が建てたのかと話してくださる。
今は其々が大人になったら家を建てることを一度は考える。
家を建てるのか、ずっとアパートに住まうのか、はたまた同居か。
その結果、家が残る。家が余る。
昨日、住まいのご相談を受けながら、
しみじみと考えた。
大きな黒い梁を持つ築200かともいう家は
昔の姿を留めたまま、次の運命を待っていた。
相談者が建てた新しい家もまた
思いが詰まっていた。
どちらを手放すにも、貸すにも苦労がつきまとう。

家が喜び人が喜ぶ案は何だろう。
受け継いだものを負担無く残す方法は何だろう。
考えなくてはいけない。
つぼくら
いやどこに暮らしていても
家をどうするか、という問題は
いつもそこにあるのだと思う。
昔であれば、家は受け継がれるもので
その過程で歴史を重ね、建て替えられ受け継がれていく。
調査などに行くと、古い過去帳を見せて頂いて
何代目の誰が建てたのかと話してくださる。
今は其々が大人になったら家を建てることを一度は考える。
家を建てるのか、ずっとアパートに住まうのか、はたまた同居か。
その結果、家が残る。家が余る。
昨日、住まいのご相談を受けながら、
しみじみと考えた。
大きな黒い梁を持つ築200かともいう家は
昔の姿を留めたまま、次の運命を待っていた。
相談者が建てた新しい家もまた
思いが詰まっていた。
どちらを手放すにも、貸すにも苦労がつきまとう。

家が喜び人が喜ぶ案は何だろう。
受け継いだものを負担無く残す方法は何だろう。
考えなくてはいけない。
つぼくら