使えない男子七人と押し付けらる会衆 | 夏風の吹く広場〜JW.orgに載らないある暑苦しい男の思い〜

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遅くなりましたが、11月23日 月曜日の日々の聖句と注解です。


「「調15 108–118ページ - 聖書を調べる 2015

              11月23日,月曜日

確かな男子七人を自分たちで捜し出しなさい。わたしたちがその人たちを任命してこの必要な仕事に当たらせるためです。―使徒 6:3。


一部の「やもめたちが[食物の]日ごとの分配の面で見過ごされていた」という報告に対する使徒たちの対応は,会衆が,困窮した成員の世話に貢献できることを示しています。(使徒 6:1‐5)パウロは,どんな状況にあるやもめが会衆の援助を受けられるかをテモテに伝えました。(テモ一 5:3‐16)聖書筆者ヤコブも,患難や窮乏を経験している孤児ややもめなどを世話するのはクリスチャンの責務である,と述べました。(ヤコ 1:27; 2:15‐17)使徒ヨハネもこう説明しています。「だれであろうと,生活を支えるこの世の資力があるのに,自分の兄弟が窮乏しているのを見ながら,その兄弟に向かって優しい同情の扉を閉じるなら,その人にはどのようにして神の愛がとどまっているでしょうか」。(ヨハ一 3:17)個々のクリスチャンが,困窮している人たちに対してそうした責務を負っているのであれば,会衆についても同じことが言えるのではないでしょうか。塔14 3/15 3:13,14」



この記事が書かれた頃は、すでに閉鎖に追い込まれた支部もありました。そして今、日本支部も大幅な縮小を迫られています。加えて、来年には特開者の大幅削減も予定されているそうです。


そういう視点からこの注解を読むと、
「ゆくゆくはベテラーや特開者を減らすから、その人たちを会衆で、あるいは個人で援助しなければ、エホバを喜ばせるなんて口が裂けても言えねえぞ!!」
という組織の意図が透けて見えるのは、私だけでしょうか?


ヨハネも、この聖句(ヨハネ第一3章17節)がそんな意味で使われるなんて、予想だにしていなかったんじゃないかと思います。


そして、ベテルを閉鎖したり特開者を切ったりして路頭に迷わせながら、高そうな腕時計と指輪をはめている、統治体の使えない男子七人は、神の愛なんかを決して受けることはないでしょうね!!