毎日が安息日!? | 夏風の吹く広場〜JW.orgに載らないある暑苦しい男の思い〜

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本当は爽やかな春風になりたいけれどなれない、暑苦しい夏風のブログです。

大変遅くなりましたが、4月9日、木曜日の日々の聖句と注解です。


              4月9日,木曜日

わたしの従者……を門に配置し,安息日に荷が入って来ないようにした。―ネヘ 13:19

ネヘミヤのこの手本から何が学べるでしょうか。(ネヘ 13:15‐21一つの教訓は、収入を得ることに過度の関心を抱いてはならない、ということです。そうしないと,容易に注意が奪われたり,気持ちが分かたれたりするでしょう。世俗の仕事が楽しい場合は特にそうです。二人の主人に奴隷として仕えることに関するイエスの警告を思い起こしてください。(マタ 6:24)ネヘミヤには資産がありましたが,エルサレムでどのように時間を用いたかに注目してください。(ネヘ 5:14‐18)ティルス人や他の人たちと商業的な契約を結ぼうとするのではなく,もっぱら兄弟たちを助け,エホバのみ名を神聖なものとすることに貢献する事柄を行ないました。今日の長老や奉仕の僕も,会衆の益となる事柄を行なうことに注意を集中します。兄弟姉妹たちはそうした精神ゆえに彼らを愛します。ですから神の民の間には,愛と平和と安心があるのです。―エゼ 34:25,28塔13 8/15 1:13,14



さて、今回もこの日の日々の聖句を、フルバージョンで引用してみます。


「19 そして,安息日の前にエルサレムの門*がぼんやり見えるようになると,わたしは直ちに命じ,扉は閉ざされるようになったのである+。わたしはさらに,安息日の後まではこれを開いてはならないと言い,またわたしの従者の何人かの者を門に配置し,安息日に荷が入って来ないようにした+。」



ここで、ネヘミヤが門を閉めて荷物が入らないように指示したのは、安息日だけでした。その日は、気持ちをエホバへの崇拝に集中させるためでした。



もちろん、ネヘミヤは安息日以外は門を開けさせ、通常通りの商売をさせていたはずです。



しかし、この日の日々の聖句は、「安息日」という記述をあえて記載せず、それを受けての注解も、通常の日も収入を得ることや仕事への関心、意欲を持つことあたかも間違ったことをしているかのような書き方をしています。



律法時代ですら、安息日は週1回だったんです。ましてや、律法がキリストにより廃された現在にまで、毎日当時の安息日のような精神態度を持て!と言うのは聖句の内容の曲解も甚だしいです。



この日の日々の聖句を討議して、「仕事が楽しい」と思ったり、「給料日が待ち遠しい」と思うことさえふさわしくない、と不必要に自分を責めたりする人がいないかどうか、本当に心配です。


統治体は、イエスの時代のパリサイ人と同じく、不必要なくびきをJW成員に負わせているという、明らかな証拠だと思います。



そのくせ、やたらと最近は「寄付をせよ」と圧力をかけていますが、衣食住すべて恵まれていて豪華な指輪をしながら世界各地を講演という名目で豪遊している人たちから言われても、説得力はゼロですよね~。