「わたしたちは皆,神から疎外された世に生まれてきました。最初の人間夫婦から受け継いだ罪のため,生まれつき神との敵対関係にあり、神の目的に関する正確な知識を持っていません。また,不実な心も受け継いでいます。(エレミヤ 17:9。 エフェソス 2:12; 4:18。 コロサイ 1:21 )神の友となるためには,自分の考え方を神の考え方に合わせることを学ばなければなりませんが,そうするのは決して簡単ではありません。」
「生まれつき神との敵対関係にある」
という言葉は、私のJW人生の中でも初めて聞きました。
そうなっていた人類と神との関係を取り戻すために、イエス•キリストは杭の上で長時間の激痛の中亡くなられ、ご自分の命を神に差し出され、そうすることによって人間と神との間の執り成しをして下さったのではないでしょうか。
キリストがそうして下さったおかげで、私たちはキリストを通して、神にいつでも近づくことができるようになったわけですよね。
今でも努力なしでは神との敵対関係にある、と断じるのは、キリストの苦しみの杭の上での任務を、全く意味のないものとしているのではないでしょうか?
私は、この「ものみの塔」の記述は、キリスト教の根幹を揺るがしかねない、大変な問題であると思います。
どなたか、教えてくだされば幸いです。
(マイナスドライバーさんの記事へのコメントと重複していることを、お許しください。)