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Saleemのブログ【somos solo uno = We are One】

私たちは ひとつです。
LDの立場から、ADDの子どもや 大人が「目に見えない障害が故に 誤解され…」いじめられている現状が、少しでも無くなることを願っています。LOVE


  VIGYAN BHAIRAV TANTRA 「源泉への道」02
    和尚講話録   P.304~308

  …すべては 同一のエネルギーの 様々な形態だ。
  形態を 与えるのは、あなたであり、あなたのマインドだ。
  その形態の中へ エネルギーが入っていく。



   それだから 深く愛しているときには、怒るエネルギーが あまりない。

まったく 愛していないときには、怒るエネルギーは たくさんある・・・口実を見つけては 怒ろうとする。

エネルギーが セックスを通じて 表現されれば、暴力性は 減少する。

エネルギーが セックスを通じて表現されなければ、暴力性は増加する。

だからこそ 軍隊では、兵士に性的な関係を 許さないのだ。

それが許されたら、軍隊は 戦闘で無力になる。


   だからこそ文明は、その頂点に達すると、戦うことができなくなる。

文明化し 開化した社会は、未開の文明によって 破壊され負かされる。

いつも そうだ。

発達した社会は、その個々人の あらゆる必要を満たそうとする。

セックスも それに含まれる。

社会が 真に確立され、豊かになると、みんなの性的必要は 満たされる。

そして 性的必要が満たされると、人は 戦えなくなる。

性的必要が 満たされていなければ、人は すぐにも戦う。

だから 世界を平和にしたければ、性的自由が もっと必要だ。

世界を 戦いや争いの場にしたければ、セックスを否定し、セックスを抑圧し、反セックス的になればいい。


   まったく逆説的なことだが、世にいう聖人や賢者たちは、いつも 口では平和を語りながら セックスのことは非難している。

反セックス的な 空気をあおりながら、同時に「世界に必要なのは、戦争ではなく平和だ」と 言い続ける。

それは 理に合わない。

ヒッピーたちのほうが 正しい。

彼らのスローガンは 当たっている、「愛を交わせ、戦火を交わすな」。

そのとおりだ。

もっと 愛を交わすことができたら、もう戦火は 交わせなくなる。


   それだから セックスを抑圧してきた いわゆる求道者は、いつも暴力的で、怒っている。

意味もなく 怒っている。

ただ 怒っている。 ただ 暴力的だ。

煮えたぎって 爆発しそうだ。

そのエネルギーは 表現されずに動き回っている。

そのエネルギーが 源泉へと落ちていかないかぎり、プラフマチャリア(禁欲)は ない・・・真の禁欲は ない。

セックスを抑圧すると 暴力になってしまう。

逆に セックス-エネルギーが 中心へと下降すれば、あなたは 本当に 子どものようになる。


   子どもにも セックス-エネルギーは ある。

あなた以上にある。

だが それは まだ源泉にある。

まだ 身体へは 流れ出していない。

いずれは 流れ出す。

身体の準備ができ、分泌腺の準備ができ、身体が 成熟すれば、そのエネルギーは 流れ出す。

なぜ子どもは あれほど無垢に 見えるのか。

そのエネルギーが 源泉に あり、まだ流れ出していないからだ。

人が エンライト(開悟)したときも また、同じことが起こる。

エネルギーが すべて源泉へと向かい、その人は 子どものようになる。

これこそ イエスが 次の言葉で言おうとしていたことだ、「幼児のような者のみが 神の王国に入れる」


   それは どういうことか。

科学的に いえば、それは 自分のエネルギーが すべて源泉に戻った ということだ。

もし 表現したら、そのエネルギーは 外に向かう。

表現すると、それが癖になってしまう・・・それでエネルギーは いつも外に向かい、外に もれてしまう。

また 抑圧すると、エネルギーは 源泉に いきもしなければ、外に いきもしない。

宙ぶらりんに なってしまう。

宙ぶらりんのエネルギーは 重荷になる。


   だから、本当に 怒りを 表現すれば すっきりする。

セックスをすれば すっきりする。

なにかを 破壊すれば、憎しみが 解き放たれて すっきりする。

なぜ すっきりするのか。

それは、宙ぶらりんのエネルギーが 重荷だからだ。

そのせいで マインドが雲ってしまう。

必要なのは、それを 外に 投げ捨てるか、あるいは 源泉へと戻すかだ。

その ふたつしかない。



   エネルギーは、源泉に戻ると 無形態に なる。

源泉では エネルギーは 無形態だ。

たとえば この電気は 無形態だ。

その電気が 扇風機の中へ入ると、ある一定の形をとる。

また電球の中へ入ると 別の形をとる。

電気の 利用方法は 無数に ある。

そのエネルギーは 同じだ。

電気の形態は、電気の流入するメカニズム(装置)によって 決まる。


   怒りは ひとつの メカニズムだ。

セックスも ひとつの メカニズムだ。

愛も ひとつの メカニズムだ。

憎しみも ひとつの メカニズムだ。

エネルギーが 憎しみのチャンネルに入ると、それは憎しみに なる。

その同じエネルギーが 愛に入ると、それは 愛になる。

それが 源泉へと入ると、無形態のエネルギー、純粋なエネルギーになる。

それは 憎しみでもなければ、愛でも怒りでも セックスでもなく、ただの エネルギーだ。

そして 無垢だ。

無形態は どこまでも無垢なものだからだ。


   ブッダは じつに無垢に見える。

子どものように見える。

そのエネルギーは、もう源泉へと入っている。


   だから表現しては いけない。

表現したら 自分のエネルギーを浪費し、また 相手のエネルギーも 浪費させてしまう。

抑圧しては いけない。

抑圧したら、宙ぶらりんの状態を 生み出してしまう。

そして いずれ必ず 外に現れる。

では どうしたらいいか。



   この技法は 言う・・・気分そのものに対しては なにもせず、ただ その気分が生じてきた 源泉へと 戻るのだ。

その気分が 熱い状態であるとき、通路は 内側でよく見える。

それを 通っていけばいい。

いろんな気分を 瞑想に 使うのだ。

その結果は 奇跡的だ。

信じがたいほどだ。

そして いったん エネルギーを 源泉へと逆流させる鍵を 見つけたら、人間性の 質が変わる。

あなたは 浪費しなくなる。

浪費が 愚かに見えてくる。



   ブッダは言う・・・
誰かに対して 怒る ということは、他者の不当な行為に対して 自分自身を 罰することだ。

たとえ誰かに 侮辱されたとしても、それは  彼の 行為だ。

なのに、あなたは 怒ることによって 自分自身を 罰している。

自分の エネルギーを 浪費している。



   それは 愚かだ。

そこで我々は、ブッダの言葉や、マハヴィーラの言葉や、イエスの言葉を聴いて 抑制を 始める。

自分のエネルギーを 抑圧し始める。

つまり こんなふうに考える「怒るのは よくない、怒るのは愚かだ」。

では どうするか。

怒りを 抑圧せよ、怒ってはならない、自分を抑えよ、自分を閉じよ、自分の怒りと 戦い、それを 抑圧せよ……。

これでは、今にも 爆発しそうなものの上に 座っているようなものだ。

火山の上に 座っているようなものだ。

いつ 爆発するかわからない。


…03に つづく