次の日の朝にホテルから、
政庁跡の横にある大宰府
展示館に行きました。
下地図⑥の所です。
上図⑤の駐車場に車を置いて
⑥にある大宰府展示館に行きました。
ここが玄関です。
中に入ると大宰府の歴史など
を学べます。
今回は大宰府の歴史です。
大宰府展示館の一部資料
を利用して説明します。
671年に筑紫大宰府の名前が
初めて日本書紀に出ます。
造ったのは天智天皇です。
663年に白村江の戦いで、
日本が唐に敗れて、渡海し
て唐が攻めてくる恐れがあ
り、大野城・基肄城・水城
を造り、防衛の司令部とし
て大宰府が造られたようで
す。初期の建物は掘立式で
した。
710年頃に礎石式の建物に、
建て替えられました。
大宰府政庁の模型です。
太宰とは古代中国の官名。
百官の長で、天子を補佐し
て諸政をつかさどったそう
です。太ではなく大の場合
は地名で使用したときです。
太宰帥が大宰府の長官で、
大宰府が役所名です。
昔の大宰府の町割りと現在の
交通網の重ね図です。
710年に都が平城京(奈良)に移る
730年に太宰帥大伴旅人が梅花の宴
をひらく。このとき「令和」の歌が
詠まれる。
梅花の宴の様子。(展示品)
740年に太宰少弐藤原広嗣の乱おこる
官位は従五位下・大宰少弐藤原広嗣が、
大宰少弐の時に玄昉・吉備真備の排除
を訴えて藤原広嗣の乱を起こしたが、
敗れて刑死する。
753年に鑑真が大宰府に来る。
806年以降は帥は親王がなり、大宰府
に赴任しませんでした。
901年に右大臣:菅原道真が大宰権帥
に左遷される。(権帥は帥の副官)
その2年後
903年に菅原道真が死去
905年に道真の墓所に社殿を建てる。
大宰府天満宮の始まり。
道真が滞在した南館です。
2年ほどで道真は死去します。
南館の位置は
道真は南館に滞在していました。
941年に藤原純友の乱で大宰府
が焼かれます。
その後すぐ再建されました。現
在の礎石はこの時に再建された
時のものです。
1158年に平清盛が大宰の権帥
になる。
1210年に武藤資頼が太宰大弐
になる。以後武藤氏が太宰少弐
を世襲し、少弐氏と言われる。
1274年に蒙古襲来(文永の役)
で、日本軍が水城まで退却する。
この後は博多湾岸に防塁を築く。
1336年に足利尊氏が南朝の菊池
・阿蘇軍を多々良浜で破る。
尊氏が大宰府に入る。
1587年豊臣秀吉が九州平定する。
帰路に大宰府に立ち寄る。
1601年に大宰府は黒田藩領とな
る。長政の父:官兵衛は大宰府
天満宮に隠居
黒田官兵衛(如水)の肖像画です。
明治維新後は
1889年(明治22年)町村制施行
で、3村が合併で大宰府村になる。
大宰府政庁跡です。
1980年に大宰府展示館が開館
大宰府展示館です。
今回はここまでで、次回に続く
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