前回の続きです。
今回はB1の近代2です。
ゴッホ(1853~1890)
の作品の続きからです。
上図⑰から⑱付近です。
ゴッホ「種まく人」(ミレーの模写)
ゴッホは美術商、フランス語の先生、
本屋さん、牧師など色々な仕事をし
ましたが全て上手くいかず、27歳の
ときに画家になる決心をしました。
一人で絵の勉強を始めたゴッホが描
いたのは田んぼの刈り入れをする人、
炭鉱や工場で汗を流して働く人など、
自分の周りにいる貧しいけれど懸命
に働いている人たちでした。
有名人画家の絵を模写もしました。
日本の浮世絵にも心ひかれています。
アルルはそんな日本の風景に近いと
思っていました。
ゴッホの自画像です。
自殺する1年前の、1889年に描
かれた自画像です。
パリでの暮らしが上手くいかず
南仏アルルに向かいゴーギャン
を師として、心酔し一緒に暮ら
します。作品が明るく大胆な色
彩やタッチに変化。同居して安
心感が生まれたのか代表作が生
まれました。
「アルルのはね橋」「ひまわり」
「夜のカフェテラス」など。
アルルの寝室(1890年製作)
アルルの「小さな黄色い家」に移り
住んだゴッホは、ここを「芸術家の
家」と、「共同生活の場」にすること
を夢みています。家具や額の絵まで、
そのため「性格のあるもの」にしよ
うと望んだゴッホは、彼にふさわし
いべッドとして、鉄のベッドではな
く、農夫用の大きな頑丈なものを選
んだ、椅子もまたぶこつな農夫用の
もの、壁面には自画像を始め数点の
彼自身の作品があります。それ以外
は家具らしい家具のない素朴な寝室、
ゴッホの性格とアルル生活が出てい
ます。
ゴッホは友人の画家ゴーギャンに来
て欲しかったのです。ゴッホはゴー
ギャンに「ぜひ来て欲しい」という
手紙を何度も出しています。そして、
ついにゴーギャンがアルルに来ると
二人は早速「黄色い家」という名前
のアトリエで一緒に暮らすことにし
ました。
黄色い家のアトリエ
1888年にゴーギャンとの共同生活を
して2か月後に、折り合いが合わな
くなったゴーギャンがアルルを出て
行こうとすると、ゴッホはパニック
になり自分の耳を切り落とします。
この事件でゴーギャンがアルルを去
ると、周囲の勧めもあり、アルル郊
外の病院に入院します。
「ローヌ川の星月夜」
この作品は、南フランスのアルルで
ゴッホが制作したもので、その夜空
に浮かぶ輝く星々が美しいローヌ川
を照らし出す様子を描いています。
ゴッホは病気と闘いながらも絵を描
き続けました。病院の窓から見える
麦畑や中庭、病と闘う自分の顔も沢
山描いています。やがて、病気が良
くなると、パリに近い町オーヴェー
ルに移り、精神科医ガッシェ博士の
元で療養を続けます。
この地で亡くなるまでの2ヶ月に、
ゴッホは約70点の絵を描いています。
まったく売れないのが残念です。
「オーヴェールの教会」もその一つ
です。
「オーヴェールの教会」
ゴッホが自殺した1890年に描
かれた絵です。
実物の教会はパリの北西27km
に位置するフランス、オーヴェ
ル・シュル・オワーズ市のエグ
リーズ広場にあります。
この絵を描いた一ヵ月後には、
ゴッホは自殺します。
このときゴッホは37歳、画家
になってから10年しか経って
いませんでした。
何をやっても俺はダメなんだ
という思いがあったのでしょ
う。
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