西国三十三観音霊場の壷阪寺の紹介3最終回 本堂 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今日は最終回で,

礼堂・本堂と観音霊験記紹介です。

通路に咲いていた牡丹の花

よく似ている牡丹と芍薬の外見上の違いは
牡丹は葉っぱに切れこみがあるが、芍薬には切れこみがない。

 

左から三重の塔・礼堂・八角円堂(本堂)

 

もらったパンフレットです。

 

礼堂は横から入れます。

靴をげた箱に入れて、階段を上がり礼堂に入りました。

 

 

大観音のミニサイズがあり、その手前にさらに小さい観音様

 

手前の一番小さい観音様は水をかけられます。

 

この錫杖を鳴らすと厄払いになります。

なので、鳴らしてみました。

 

礼堂から見た八角円堂内の、御本尊の十一面千手観世音菩薩です。

2つのお堂は繋がっています。

 

横から見たところです。左が本堂の八角円堂です。

 

壷阪寺の本堂が八角円堂であること
八角円堂といえば、法隆寺の夢殿を思い浮かべる人も

多い。夢殿は天平11年(西暦739年)に行信という僧侶

が建てたものです。
壷阪寺の開祖と言われる弁基も、行信と同じ動機で

八角円堂を建てたのではなかろうか。
法隆寺の八角円堂は聖徳太子の廟所であり、行信は

太子の霊をなぐさめるために夢殿を建てたのである。
霊廟建築は八角円堂が多い。他にも八角形の建物と

して思い浮かべるのは、藤原不比等の廟所として元正

天皇が発願した興福寺の北円堂です。また藤原冬嗣

が父・内麻呂のために建てた南円堂。五条の栄山寺

円堂も藤原仲麻呂が父智麻呂のために建てたもので

す。
八角円堂はすべて、誰かの霊をなぐさめるために建て

られているようです。壷阪寺の本堂である八角円堂は、

創建時から八角円堂でした。持統天皇の霊を弔うため、

弁基が建立したと考えられます。壷阪寺に伝わる『古老

伝』には、元正天皇が壷阪寺を南法華寺 と称して、勅願

寺にし、長屋王が永代供養することになったという記事

があります。元正天皇は持統天皇の孫であり、長屋王

も義理の孫にあたります。壷阪寺は祖母の持統天皇の

供養のため建立した寺と考えられます。この時代はまだ

末法思想の影響もなく、盧舎那仏像・薬師如来・観音様

を拝んでいた時代です。

 

本尊の十一面千手観音様です。

壷坂寺は常時御本尊を御開帳しています。

 

本堂内にはその他の仏像や空海像も安置されています。

また、目薬の木から製造した、目薬が販売されていました。

 

もう1つの観音霊験記です。

壷坂の村に住む姫君が、尊い聖の説法にでかけ、

親孝行する者には仏神が感応すると聞いた。

貧しくて父親の十三回忌に何もできないのを悲し

んでいると、たまたま陸奥国の商人が15~16歳

の女性を買いに来たので、進んで我が身を売り、

そのお金で父親の菩提をとむらうことができた。

母を残し、遠い陸奥国まで来た姫君は、女性が

必要とされた理由を知ります。 ここでは毎年、

大蛇に人を供えなければならず、ある親が娘の

身代わりを求めていたのです。 決められた池の

中嶋で待つと、やがて長さ10丈(30メートル)も

ある大蛇が現れた。 しかし姫君が御経を読むと、

経典読誦と親孝行の功徳により、大蛇は成仏を

確信して歓喜し、姫君を乗せて天に昇ります。

姫君は実は弁財天、大蛇は実は壷坂の観音

菩薩であり、末世においても信心があれば二世

安楽うたがいなしと結んでいます。

 

最後に駐車場についての訂正ですが

有料駐車場から進んで、ロープを張って使用

出来ない駐車場がありますが、さらに進むと

無料駐車が出来る所がありました。

ここは無料で駐車が出来ます。

 

実は2度目ですが、再度高取城に行きました。

まだ紹介出来ていない部分を見てきました。

これで壷阪寺の紹介を終わりますが、明日からは

高取城の壷坂口門と吉野口門からの登城経路紹介です。

 

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