九度山真田まつり最終回 幸村屋敷跡周辺と花 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

1日おきに更新しています。

真田祭の続きですが、今回で最終回です。

九度山町史によると、真田幸昌・真田幸村親子が

この九度山に来た時、家来とその家族も移住して

来ました。総勢100名にもなりました。九度山でも

真田昌幸は大名扱いされていました。親子ですが、

住んでいた屋敷は別だったそうです。

幸村の屋敷はこの遍照寺の横にあったそうです。(九度山町史による)

 

 

真田幸村屋敷跡は上のマップ右下です。赤丸の位置です。

 

遍照寺の本堂(このお寺は高野山の里坊でした)

この本堂の向かい側の塀の下に

 

 

本堂向かい側の塀です。

 

写真下に遍照寺の塀の瓦が見えます。塀越しに撮影しました。

この石垣の下に真田幸村(信繁)の屋敷がありました。

彼の家臣も数名いたので、この辺り周辺に住んでいたと思います。

 

遍照寺を出て坂を下ると

左側の塀は旧萱野家です。

 

この辺りに、上のマップにある真田井戸があります。

民家の門横、中央下に見えています。

 

これが真田井戸です。

 

この井戸が真田幸村の屋敷内にあったそうです。

井戸周辺の写真は

民家が建っているので、その他の痕跡がありません。

  

 南側に回り込むと 

屋敷跡にある石垣です。

 

もう一度さっきのマップ

 

 

 上の地図①のあたりの写真は

①から赤い→方向を見た所です。下り坂になっています。

この道は高野街道です。

 

上の写真、左の赤い建物の中には、大坂城と真田丸の模型があります。

大坂城

 

真田丸

 

隣に、まちなか休憩所があります。

ここで休憩して、抹茶ソフト(200円)を食べました。

 

町家の人形巡りは、町内家々でひな人形や武者人形を飾り見せてもらえます。

 

 

 

 

 

 

一部の例でしたが、いろいろありました。

4月の終わりのブログでもここのリンクで紹介しました。

 

真田十勇士のスタンプを押して回る、オリエンテーリング

のような企画もやっていました。

 

 

上の地図にある対面石です。弘法大師空海の実母が

讃岐から出てきた時に、空海がここで対面したそうです。

里坊があり、九度山は比叡山なら坂本にあたるような所

です。

 

 九度山は天然の要害の地なのです。南側に丹生川

があり、北側も小さい川があり、断崖と川で囲まれた

地形であるため、中世や戦国時代に、高野山の里坊

の地として、高野山へ紀の川を利用した、物資流通の

拠点でした。

戦乱に巻き込まれない安全地帯として、この地が選ば

れたのでしょう。

グーグル3Dの引用による、九度山の川と崖で囲まれた地形

 

上の写真で、左側の崖と川がある所に行きました。

かなり高い崖が続いています。下に川が見えています。

 

川まで下りてみました。

下りた所です

 

 

小さいですが堀代わりの川です。

 

最後にこの近くの花の写真です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回長くなりました。

明日から和歌山城の紹介に戻ります。

 

よかったら、読者登録お願いします。

 

御手数ですが。ブログボタン押してもらうと嬉しです。(*^▽^*)

 


ブログボタン押しよろしく→お願いします。

 

 


ブログボタン押しよろしく→お願いします。