先日、母親が退院しました。
これでひと安心です。
でもこの入院に関しては、自分的には色々ありました。
まずは入院した時に兄が僕に何度か連絡をしたらしいのですが
僕には何の連絡も届いていない。
手術の前日には兄と妹は病院へ行っていたらしいのですが
何も知らない僕はGYMにトレーニングへ。
その時、病院では僕は音信不通で
もしかすると、部屋で腐ってるのでは?っと。
とんでもない憶測がされていました。
その夜、妹から連絡が入り、入院している事を知り翌日病院へ。
どうやら兄は10年以上前に変わった携帯に何度も電話をして、
そのうえ留守電にまで入れていたみたいです。
相手の方はどんな気持ちで内容を聞いていたのでしょうか?
そして退院なのですが、
母親は僕にメールをしたらしいのですがメールは届いておらず
何にも知らない僕はGYM帰りに病院へ。
ノックしようとした時にガラス越しに見えた姿は明らかに母親ではない。
病室は合ってるけど名前が違う。
まさか悪化して部屋を移されたのかなっと思い、急いで詰め所へ。
名前を言っても首を傾げながら
現在の入院患者さんの中には、いませんので
退院されたと思いますよとの事。
家に電話すると、普通に母親が電話にでました。
何か怒る気にもなれず、
良かったねの一言を言って電話を切りました。
無事に退院してくれて嬉しいのですが
何か腑に落ちないなぁ。
「ふんだり、けったり」そんな入院騒動でした。
その「ふんだり、けったり」からイメージするもの…。
プロレスしかありません。
なので今宵の一曲は女子プロレスを世間に広めた第一人者
ビューティ・ペアのデビュー曲「かけめぐる青春」です。
第一次ブームはマッハ文朱でしたが
ビューティの場合は女子中高生を試合会場に呼び込んだ事が大きかったです。
歌謡界はピンク・レディーの人気が社会現象にまでなっていた頃で
歌番組ではピンクvsビューティという、とんでもない企画までありましたが
人気面ではピンクの足元にも及びませんでした。
でも女子プロレスをゴールデンタイムで放送させるなど
世間一般に広めたのはビューティペアで
紛れもなく女子プロ界のスーパースターでした。
1979年のビューティ対決は敗者引退マッチで行われ
負けたマキ上田さんが引退しリングに上がることはありませんでした。
ジャッキー佐藤さんも1981年に引退するも
1986年に設立された「ジャパン女子」に神取忍、風間ルミ、ナンシー久美の
四天王でリングに復帰するも1988年の試合を最後に引退。
1999年にジャッキー佐藤さんが胃癌で亡くなり
2度とビューティが復活することはありません。
女子プロ界に歌謡界に旋風を巻き起こした「かけめぐる青春」です。

(石原信一・作詞/あかのたちお・作曲・編曲)1977年
これでひと安心です。
でもこの入院に関しては、自分的には色々ありました。
まずは入院した時に兄が僕に何度か連絡をしたらしいのですが
僕には何の連絡も届いていない。
手術の前日には兄と妹は病院へ行っていたらしいのですが
何も知らない僕はGYMにトレーニングへ。
その時、病院では僕は音信不通で
もしかすると、部屋で腐ってるのでは?っと。
とんでもない憶測がされていました。
その夜、妹から連絡が入り、入院している事を知り翌日病院へ。
どうやら兄は10年以上前に変わった携帯に何度も電話をして、
そのうえ留守電にまで入れていたみたいです。
相手の方はどんな気持ちで内容を聞いていたのでしょうか?
そして退院なのですが、
母親は僕にメールをしたらしいのですがメールは届いておらず
何にも知らない僕はGYM帰りに病院へ。
ノックしようとした時にガラス越しに見えた姿は明らかに母親ではない。
病室は合ってるけど名前が違う。
まさか悪化して部屋を移されたのかなっと思い、急いで詰め所へ。
名前を言っても首を傾げながら
現在の入院患者さんの中には、いませんので
退院されたと思いますよとの事。
家に電話すると、普通に母親が電話にでました。
何か怒る気にもなれず、
良かったねの一言を言って電話を切りました。
無事に退院してくれて嬉しいのですが
何か腑に落ちないなぁ。
「ふんだり、けったり」そんな入院騒動でした。
その「ふんだり、けったり」からイメージするもの…。
プロレスしかありません。
なので今宵の一曲は女子プロレスを世間に広めた第一人者
ビューティ・ペアのデビュー曲「かけめぐる青春」です。
第一次ブームはマッハ文朱でしたが
ビューティの場合は女子中高生を試合会場に呼び込んだ事が大きかったです。
歌謡界はピンク・レディーの人気が社会現象にまでなっていた頃で
歌番組ではピンクvsビューティという、とんでもない企画までありましたが
人気面ではピンクの足元にも及びませんでした。
でも女子プロレスをゴールデンタイムで放送させるなど
世間一般に広めたのはビューティペアで
紛れもなく女子プロ界のスーパースターでした。
1979年のビューティ対決は敗者引退マッチで行われ
負けたマキ上田さんが引退しリングに上がることはありませんでした。
ジャッキー佐藤さんも1981年に引退するも
1986年に設立された「ジャパン女子」に神取忍、風間ルミ、ナンシー久美の
四天王でリングに復帰するも1988年の試合を最後に引退。
1999年にジャッキー佐藤さんが胃癌で亡くなり
2度とビューティが復活することはありません。
女子プロ界に歌謡界に旋風を巻き起こした「かけめぐる青春」です。

(石原信一・作詞/あかのたちお・作曲・編曲)1977年