数か月前に、ネットで興味深い記事を見つけました。

 

それがこちら。

日本のアイドルと韓国のアイドルの、髪型の違いから見えてくる両国アイドル文化の特徴について書かれた記事です。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/2f98f4454ffc8109fae9157f94ceb1d81690bc7b


 

記事を要約するとこうなります。

 

・日本のアイドルは「前髪あり率」が高い

・日本はキュート系、守ってあげたくなる系がモテるため、それを演出するために前髪を作るアイドルが多い。前髪を作ると童顔になる

・これには家父長的家制度や、それに起因する男性主体の価値観によるところがあるのでは?

・ただ、現代になって価値観は多様化しているため、今後はおでこを出すアイドルも増えてくるはず

・対して韓国アイドルはおでこを出している場合が多い

・これは骨格の違いが原因として挙げられる

・韓国のアイドルは腹筋が割れていたり、強い自立性を感じさせるビューティー系が多いが、こういうかっこいいアイドルの方が女性ウケは良い

 

上記のような内容。

 

読んでいて、「なるほど」と納得させられる部分がいくつもありました。

 

記事に書かれていた通り、日本のアイドルは昭和から現代に至るまで、「前髪あり」スタイルが圧倒的に多いです。

そして確かに、「お姉さんっぽさ」や自立性よりも、幼さか弱さが好まれやすい。

思い返せば「永遠の○○歳」というような言葉があるほどで、日本は他国と比べ、「女性の若さ」というものが持つ価値が大きいように感じられます。

 

しかし、私はそれが記事に書かれていたような、家父長的家制度や男性主体の価値観によるものだとは思いません。

少なくとも、そのような価値観だけがこの「若さ至上主義」な日本の女性アイドル文化の原因だとは思いません。また、この日本特有の女性アイドル文化を、ただ安易に「ロリコン」と片付けてしまうこともできません。

 

日本人の女性に対するフェティシズムは、もっと複雑な本質をはらんでいると思うのです。

 

今回は、いくつかの例を取り上げながら、日本の「もしかしてロリコン⁉」なアイドル文化の真相を探ってまいります!

 

 

源氏物語

「ロリコン」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?

私はまず「ロリコン」の語源にもなった小説「ロリータ」が頭に浮かぶのですが…日本最古のロリコンカルチャーと言えば、やはりそれは平安時代に書かれた「源氏物語」でしょう。

 

この物語の中で、主人公である光る君は何人もの女性と浮名を流します。

それはもう、いろんなタイプの女性と恋愛します(光る君のすごいところは、その全ての恋愛が別に遊びではないと言うか、どの女性もわりと本気で愛しているところ。タチが悪い)。

 

プライドの高いインテリ美人な六条御息所、醜女の末摘花、継母の藤壺の宮、年上従妹の葵の上、別の男性の細君である空蝉、などなど…

 

そんな女性陣の中で最年少だったのが、若紫(後の紫の上)です。

 

光る君と若紫は、若紫がまだ少女の年齢だった頃に出逢いを果たします。

 

実はこの若紫は、光る君の初恋であり永遠の想い人である藤壺の宮に縁のある子でした。

藤壺に生き写しのこの美少女に光る君はすっかり心惹かれてしまい、最終的にはなんと彼女を引き取り自分の管理下で養育するようになります。

 

初恋の人にそっくりな美少女を、自分の手元で自分の理想の女性になるように育て上げる…

改めて言葉にして書き起こすと、光る君のやっていることは変態以外の何物でもないのですが、誇張でもなんでもなく事実この通りのことを作中でやってのけていますからね。恐ろしい。

 

光る君の手によって育てられた最年少のヒロイン、若紫。

彼女と光る君の関係性は、光る君がまだ大人の女性になっていない、少女の年齢である若紫にゾッコンLOVE(死語)だったことから「ロリコン」と形容されることがしばしばあります。

 

しかし、光る君は幼女も余裕でOKな守備範囲バリ広の、単なるロリコンだったというわけではありません。

光る君の若紫に対する執着には、複雑な背景が存在しているのです。

 

光る君の恋愛模様の背景には、全てひとりの女性が存在しています。

 

それが、光る君の継母であり、初恋の人でもある藤壺の宮です。

 

そして特筆すべきは、この藤壺の宮が光る君の実母である桐壺の宮にそっくりだったという点です。

 

桐壺帝(光る君の父)は、若くして先立った妻に生き写しの藤壺を見初めて、藤壺を正妻として迎え入れました。


つまり光る君は、幼い頃に死別してしまった母親の面影を、無意識のうちに女性に対して追い求めていた、と解釈することが可能でしょう。


若紫に対する光る君の眼差しは、その背後にいる藤壺という初恋の女性、更には、そのもっと奥にいる亡き母親という絶対的な存在に注がれているのです。


つまり、光る君は結果的にはロリコンとも呼べる恋愛をしたかもしれませんが、本質的には根深いマザーコンプレックスの持ち主であり、それが彼のフェティシズムの根幹を成しています。


少女性ではなく、その中にある母性を求めていたのです。


「少女の中に内在する母性」…

これが、日本人アイドル文化の嗜好性を読みとく鍵になると、私は考えています。




逆襲のシャア

皆さんは機動戦士ガンダムシリーズ作品をご覧になった事があるでしょうか。


先日、シリーズ待望の新作映画「閃光のハサウェイ」が公開されましたが、この「ハサウェイ」に連なる作品「逆襲のシャア」で、前述した源氏物語の恋愛に通じるような、女性に対するフェティシズムを見てとることができます。


こちらの動画をご参照ください。

「逆襲のシャア」ラストシーンより


 

ここで、アムロとシャアの会話に出てくる「ララァ・スン」とは、シャアにとっての初恋の女性です。

 

アムロとシャアの闘いに巻き込まれ、アムロの手にかかり殺されてしまいます。


シャアにとって心を通わせる事ができ、おそらく唯一安らげる相手だったララァの存在を、長い年月が流れた後も、彼は忘れる事ができません。


逆シャアの劇中でも、シャアは寝言でララァの名前を口にしており、その事によって「ロリコン」とジオン兵から陰口を叩かれていると、ギュネイ・ガス准尉によって言及されていました。


しかし、実際のところ、シャアとララァの間にはそれほど大きな歳の差はないのです。


ここで言われた「ロリコン」という言葉は、ララァの死から年月が経ってもなお、当時少女だったララァに対する執着や未練をシャアが捨てきれていない事に対する侮蔑の意味が込められており、決してシャアが幼女趣味だというわけではありません。事実、逆シャアでシャアは、ナナイ・ミゲルという成熟した女性と関係を結んでいます。


シャアのララァに対する執着の背景にあるのは、少女性への嗜好ではなく、薄幸の死を遂げたシャアの母アストライア・トア・ダイクンの面影です。


15歳という年齢でありながらも賢く、また包容力のあり自分を導いてくれるララァという女性の中に、シャアは幼い頃に失った母性を求めていたのでしょう。

彼が逆シャアの中で終盤に放った、「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」という発言には、そんなシャアの想いが表れているように感じられます。


少女の中に内在する母性への憧れ、執着というものが、ここでも描かれているのです。





処女性と母性

ここまで、「少女性の中の母性」とそれに対する愛着を描いた作品2つを取り上げてきました。


考えてみれば「少女の母性」というのは、字面だけを見れば極めて奇妙にも感じられます。


少女とは、すなわち「処女性」をその本質の一部として備えており、それは母性とは全く異なる性質で、本来共存できないもののはずだからです。


しかし実際のところ、少女と呼べる年齢の女性の中に、母性の特徴である包容力や柔和さが見受けられることが確かにあります。


そして、日本のアイドルが時に強調しながら演出する「幼さ」の中にはこの母性が間違いなく内在しており、それが日本のアイドル特有の魅力として発揮されている…

私はそう考えています。


本来であれば共存し得ないはずの処女性と母性。

あどけなさと柔和さ。ひたむきさと包容力。

これらの異なる性質のアンバランスな共生が神秘性へと繋がり、多くの人を惹きつけてやまないのではないでしょうか。



私が個人的に最も「処女性の中にある母性」を感じたアイドルが、高井麻巳子さんです。


彼女はおニャン子きっての清純派で、純粋さと清廉さを強く感じさせるアイドルだった一方で、その歌声や所作、雰囲気には何か豊かさすら感じられるような、柔らかな包容力がありました。


デビュー曲『シンデレラたちへの伝言』などの動画を観れば、マミちゃんのそんな雰囲気を感じていただけるかと思います。




マミちゃん以外の昭和のアイドルも、思い返してみれば、少女らしい愛嬌がある一方で、何か人を守り包むような、どこか大人びたものを感じさせる方が多かったです。


以前別の記事で、「年若なアイドルが精神的に背伸びをして、感得したことのない恋や愛を歌う」ことの妙について語ったことがありましたが、その趣の深さも、この処女性と母性の共存というものに起因しているのかもしれません。



女性の一生の中において、一瞬のきらめきとも呼べる少女期に、女性の最も根源的な性質である母性が垣間見える…その魅力、魔力。


これが、日本アイドルにおける「ロリコンカルチャー」の真相なのではないでしょうか?





以上、今回は日本アイドル文化におけるフェティシズムについて考察してまいりました。


書きながら、こんな内容を熱弁する自分ももしかして変態なのでは、と思えてきました。

気持ち悪いと思われたかもしれません…


しかし、時に「ロリコン」と称されることもある日本アイドルへの嗜好は、実は単なる幼女趣味じゃなくてもっと複雑なものなんだよ! という私なりの考えを、どうしても主張したかったのです。


単なるロリコンでない分、よけい変態くささが増した気もしますが…



皆さまのご意見もよろしければお聞かせください(^^)