与えられた教材を使って、淡々と理解して、覚えて、計算して、書いて、演習するという作業に小学生のうちに慣れた事は良かった。
為すには動機と情熱が必要だ。
成すには戦略が必要だ。
けれど、それらが無くてもルーチン作業をするという事に慣れたのが良かった。
促成栽培が何かを説明できても人生の幸せとは無関係だ。促成栽培の意義を説明できなくても、いつでもフルーツが食べられる。促成栽培について勉強したのは、単に分析の仕方、論理的な考察について触れる機会を得ただけに過ぎない。
社交的に遊ぶほど、刺激が多く、知的探究心が刺激されて、因果関係と理由について考察する機会も多いし、一方で読書も同じスイッチを孤独に押せるだろう。でも、それらはタイミングと出会いを選ぶ。
つまらない型通りの学習であっても、淡々とスイッチを押す事ができる。勉強だけが良いのではないが、そんなに悪い話じゃないと思う。
受験は単なる過程だ、上手く潜り抜けなくても構わない。沢山ある失敗の一つだ。クリアしても、燃え尽きるなんてのも戦略ミスだ。何も生き急ぐ必要はない。
知っている事が増えて、刺激を受ける機会を沢山得る為に学習をしているのだから。