チーズはどこへ消えた?という本が昔(2000年ごろ)流行っていた。
当時は読まなかった。
今、アマゾンなどで書評を読むと、賛否両論だ。
賛成はともかくとして、否定的な意見を読むと、
「ブラック企業が従業員を洗脳するために使う情報商材」
のような意見がある。
なので、気になって今頃になって読んでみた。
この作品は、確かに比喩が上手いと思う。
この作品におけるチーズとは就職先の事だろう。
「就職先が決まった。会社の近くに引っ越した。その会社でずっと働き続けられるから安心できる。」
これを、小人のホーやヘムの
「チーズを見つけ、その近くに引っ越し、ずっとそのチーズを食べ続ける事で安心して生きていける。」
という姿に例えている。
そして次に、
「会社が倒産して路頭に迷う。」
これをホーやヘムの
「チーズが無くなって飢え死にするかもしれない不安」
に例えている。
いちいち、ホーやヘムの行動が、社会人の境遇に合致する。
ついつい、自分とホーやヘムを重ね合わせてしまいそうになる。
だから、ちょっと騙されやすいのかもしれない。
冷静に考えてみよう。
自分と、ホーやヘムを重ね合わせてしまっていいのだろうか?
あくまでこの物語は、チーズが無くなって、次のチーズを探している小人の物語。フィクションなのだ。
現実ではない。また現実にそのまま当てはめるには、あまりにディフォルメされ過ぎていることに気が付かないといけない。
ヘムやホーと自分を重ね合わせてしまったら最後、
「何も考えず、やみくもに突き進んだ奴が成功する」という作者の書いた筋書きに飲まれてしまう。
この迷路とチーズという虚構の世界では、何も考えずにやみくもに突き進んだ奴が成功する筋書きになっている…それだけの事だ。
我々が住んでいるのは、現実の地球であり日本だ。あっちの虚構の世界ではなく、こっちの現実世界の状況で考えるべきだ。こっちの世界では、何も考えず、やみくもに突き進んだ奴が成功する仕組みになっているだろうか?
この本に騙されやすいのは、比喩が上手い事。チーズと会社が上手く比喩で表現されているため、ついつい自分とヘムやホーを重ね合わせてしまいがちだという事だ。説得力を持たせるために「チーズの近くに邸宅を建て、友人を家に呼び、チーズの自慢をする」みたいな、現実の人間がやりそうなことをやらせたりする。
でも、所詮架空の世界の架空の小人さんの出来事なのだ。
設定も、チーズ、迷路、小人というレゴブロックのような単純な世界なのだ。
この単純な世界で、小人が走り回ったり、ブロックを壊したりしてチーズを探し回っているのを、自分の人生に照らし合わせて、参考にしていいものか?
そもそも、単純な世界だから、どうとでも脚本を書ける。
例えば、動かずに待っていたら、チーズがまた現れるという「動かないで待つ奴が勝利する」ストーリーにだって出来る。
作者が「やみくもに突き進む奴が成功するストーリー」が好きだから、そういう風に書いただけの事だ。
結局、作者のさじ加減でどうとでも結末が書けるストーリーなんかに、自分の人生を委ねていいものだろうか?
私は、若いころ(この本が出版されたころ)無駄に焦っていた、焦らされていた。何か変わらないといけないと思い込まされていた。そして無意味な転職を繰り返した。
その頃の私はきっとこういう自己啓発本にまんまと騙されて、とにかくやみくもに動くべきだと思い込まされていたのかも知れない。
だからこそ、他の人たちはもっと冷静になってもらいたい。
冷静になれば「チーズはどこへ消えた」という本が巧みに誘導しているだけの本だと分かる。
読者を焦らせて、むやみに突っ込ませるような「チーズはどこへ消えた」のような情報商材は要注意だ。