三日前、幼馴染みが死にました。
病気だったそうです。
ずっとずっと、最近手紙やメールが来ないと思っていたんです。
『便りがないのは元気な証拠』
と言いますが、彼にとっては、真逆だったようで。
亡くなった彼の弟から、連絡がきました。
私にとっても弟のような彼は、私を良く慕ってくれていました。
いの一番に私に報告するのを避けたそうです。
「忙しいのに、体調が良くないのに、報せたらすぐにこちらにきただろうから」
と彼は言いました。
幼馴染みといっても、もう随分と前に引っ越してしまい、今は京都にいます。
京都まで、来てしまうだろうから、と。
行ったかもしれない。
と言うと、でしょ?とかえされた。
お金もないから、負担はかけたくなかったらしい。
病名は聞いてません。
彼も、言わなかった。
聞いても仕方がないから。
同情の種にしかならない。
そして、彼もそれをわかっていたんだと思う。
私の考えを、誰よりも否定せず、疑問視せず、受け入れてくれた兄弟だから。
お葬式は、本日すませてしまったそうで。
骨、いる?
と聞かれたけど、いらない。
と答えた。
いらないと思った。
そう笑われて、私も笑った。
「苦しそうだった?」
「いや、全然。倒れた時は苦しかっただろうけど、息を引き取る時は意識もなかったし」
「そっか、じゃあ、良かったね」
「うん、ありがとう」
そこまで話して、泣かないの?って聞かれたから、笑って言いました。
「泣くわけないでしょ」
彼も、笑って
「だと、思った」
身近の人が亡くなっても、私は泣いたことがない。
幸いなのか、なんなのか。
そのとき、私とほぼ会っていない方ばかり、亡くなるから。
実感が沸かないんだろうな。
毎日会ってる人が亡くなれば、いやでも『いない』現実を味わうだろうけど。
弟である彼は、カナダへ留学するそうです。
もう、私とは会う気はないと、言いました。
慕ってくれているからこそ、もう、会いたくないんだそうです。
わからないでもない、気がするので、私は一言「わかった」と言いました。
彼等のご両親とは、交流はない。
私の両親も、すでに交流はないので、私と弟の彼との繋がりがなくなれば、縁はすべてなくなってしまう。
それでも、いいかなと思う。
私がカナダに行って、偶然会ったらどうする。
と聞いたら、その時は、もう運命だから結婚しましょう。(彼は私には敬語なのだ)
といわれたから、それを約束して、普段ならいわない、『別れの言葉』を彼に伝えました。
「さようなら」
「さようなら」
その言葉と、「大好きだったよ」を、幼馴染みの墓前に伝えてもらうことだけを、頼んで、たった一本の電話で繋がっていた縁を、きりました。
もう、私から電話をかける事はないし、彼の家を訪ねる事もないでしょう。
たまに、思い出しては笑い話に。
懐かしむ事はあっても、悲しむ事はないでしょう。
彼は、優しい人だった。
そして、愚かなほどに、私を愛してくれたから。
『泣く』行為が嫌いだった彼のために、私は悲しまない。
だって、悲しいことなんて、何一つなかったから。
彼と一緒にいた時は、楽しい、嬉しいことばっかりだったから。
たった一つの心配事。
写真嫌いだった彼の遺影はちゃんと用意出来たのかしら。
それを思って、また一つ笑う。
彼は、こんなにも、私に笑顔をくれるから。
悲しみません。
ふと思い出して、笑顔をくれる人。
彼は、そういう人でした。
そして、これからも、そういう人で有り続けるでしょう。
私の、お葬式、呼ぶ人がまた一人減ったけど。
ね。
さようなら。
愛した人。
さようなら。
願わくば、ずっと笑顔で。
ご冥福をお祈りします。
なんて、格式ばった事言わない。
あなたは、笑顔でずっといればいい。
それだけでいい。
2008.01.10