本当の自分。一体なんなんだろう。それを振り返るために自分について、徹底的に書くことにしてみる。
何故振り返るか、それは現在の自分に満足していない。いや、満足なんて言葉は勿体ない。今のままでは駄目だと思い、振り返りまとめることによって、変わっていきたいと切に思う。
その為に、記憶を辿り、自分自身を見つめ直したいと思う。
私は1980年生まれの現在30歳。仕事は無職。アルバイトもしていない。実家暮らし。現在、ショッピングの借金が150万ほど。1日中ゲームしたり、PCをいじったり、テレビを見たりの生活。そして、両親のスネをかじり、生活している。
幼少期、私はよく怪我をしていた。活発で、他人に相当迷惑をかけていたらしい。母親はよくそう語る。そしてよく謝っていたらしい。私の記憶の中で一番小さい頃と思われる記憶は、日中にリビングのテレビ前で母親が洗濯物をたたんでいた。その横で私は寝ながらそれを見ていた。幼稚園ではいたずらっこで、よく悪さをしていた。それは多少自覚がある。幼稚園では初恋も経験した。もちろん告白や付き合うなんてことは一切なかった。
小学校の低学年、学校ではよくケンカをした。勝てない相手にはすぐ泣いていた気がする。習い事は水泳。幼稚園の頃からプールに通っていた。その頃、性にも興味を出していた。同じマンションに住んでいる同じ学年の女の子を自分が住むマンションの屋上でよく裸にさせて、観察していた。私含め、いつも男子2、女子1の3人だった。私は命令ばかりをし、自分は見ているだけであった。実際何をしたかったのかは覚えていない。その頃には既に小心者だったのかもしれない。勉強はそこそこ。運動だけは得意だった。その頃好きな子がいて、その子が引っ越した後、手紙でプロポーズしようとしたのを覚えている。母親に見つかり、送ることはなかった。
小学校高学年、相変わらず運動だけは得意だった。校内での色々な選手に選出されるが、基本的に1位になることはなかった。4年あたりから、書道を始め、5年でバスケットボールを始めた。塾にも通いだしたが、あまり真面目に勉強していなかった気がする。その頃には確実に性に目覚めていた。6年にはミニバスケットボール部のキャプテンになるが、中学校受験を控え、あまり積極的に活動していなかった。5年生の頃、担任の教師をいじめ、先生が1学期で変わるという事件にも加担した。5年の終わりには初めて彼女が出来た。が、デート等は一切ないまま、相手は引っ越してしまった。ちなみに、受験は全て失敗。近くの市立中学に通うこととなる。
中学校に入り、部活はバスケットボール部。いきがっていたが、ケンカで負けて、未だに泣いていた。担任の先生には反抗し、色々ないじめにも加担。タバコも吸い始めた。部活の練習は厳しく、何度も逃げ出しそうになったが、珍しく頑張っていた。勉強はあまりしていなかったが、塾に通っていたので、そこそこ通用していた。中学2年の頃、部活にはほとんど顔を出さなくなっていた。何をするわけでもなく、その頃はあまり記憶に残っていない。中学2年の後半に、彼女が出来た。そこから部活にも復帰して、頑張りだした。彼女は出来たが、奥手だったせいか、AとB止まり。Aも付き合って3ヶ月以上経っていた気がする。部活では、3年の頃、1年生をいじめ、一人退部させた。今でも覚えている。体育祭では、応援団長をやり、モテた。この頃は、応援団長=モテるだった。3年の頃にはポケベルを持っていた。*2*2が懐かしい。3年の終わり頃には、よく朝に友達の家で、ボンバーマンをやってから、遅刻して学校に行ったり、禁止されていた自転車通学をしたりしていた。受験は、第1希望の公立に合格した。授業態度は良くなく、内申はあまり期待できなかったが、勉強はそこそこ出来ていた。中学校くらいからゲームを始めていた気がする。
高校時代、入学からピアスを開け、金髪にし、登校した。いわゆる高校デビュー。そんな見た目から、避けられることもあったが、友達も出来た。その友達は筋金入りだった。高校はバスケ部を見に行ったが、金髪は不可と断られた。そして、親とケンカし、家出をするが、夜中に暴走族に絡まれボコボコにされる。次の日の朝には、血だらけで家に帰る。その日から数日経って、髪を茶髪にし、ピアスはやめた。先輩や、友達と遊んでいたが、今から考えると、ほとんど中身がなかった気がする。相変わらずゲームは好きで、よくやっていた。高校1年中頃には、中学校から付き合っていた彼女と別れる。2年近く付き合ったが、Cは結局しなかった。その頃、仲の良い友達から女の子を紹介されたが、気に入らずすぐに別れた。その事が元で、仲の良い友達からシカトされるなど、高校生活中に会話することはなくなった。高校時代は、基本的に何もかも中途半端。遅刻は多く、先生には反抗し、かといってケンカする度胸もない。高校2年の修学旅行前に彼女が出来る。が、修学旅行が終わって数週間で別れた。高校の思い出は、文化祭で料理を作って、それが大盛況だったこと、友達と1日中カラオケに行ったことなどしかなかった。卒業アルバムにもほとんど写真はない。大学は、あまり勉強していなかったので、行ける大学が少なかった。運動好きということもあり、体育大学への進学を決め、合格した。体育専門の予備校に通ったが、たいした思い出もない。
1999年大学に入り、部活動はバスケットボール部を選択した。上下関係が厳しく、何度も逃げ出しそうになったが、なんとか上手くやりくりした。しかし、部活以外、学校にはほとんど行かず、行っても授業に出ることは少なかった。バスケットボール部に入ったが、体力がないので、練習は大嫌い。授業にもあまり出ていなかったので、部活内でも結構浮いていた。大学1年の夏に、初体験をした。相手は、その時付き合っていた高校生。しかし、その初体験以降、相手は受験に集中したいと振られた。大学2年に入り、部活の課外活動の役員に選ばれた。選出理由は、みんなやりたくないからだ。私は、その課外活動が楽しくなり、より学校に行かなくなった。課外活動とは、バスケットボールの大会運営などだ。アルバイトもしたことのない私には、社会と触れる機会が新鮮で、楽しかった。その頃からPCも扱うようになり、ブラインドタッチも出来るようになった。しかし、学校に通っていなかったので、2年で2回留年した。3年になる頃には、みんな卒業を迎えていた。また大学4年で2回留年し、大学卒業まで8年かかった。除籍されるギリギリまで在学していた。もちろん親には何度も怒られた。体育大学の学費は決して安くない。カリキュラムの変更などで、授業がどんどん変わり、自分の履修も振り替えや、消滅などで色々と苦労した気がする。大学2年の終わり頃、彼女が出来る。その彼女とは2年付き合った。女子寮に住むその子のところへよく遊びに行った。2000年頃、ある私立中学・高校のバスケットボールのコーチをした。しかし、それもあまり真面目ではなかった。大学に入って4年目の時、大学2年の子と付き合うことになる。その子とは3年ほど付き合うことになる。2002年には、派遣で、一般企業で事務の仕事をしていた。基本的にPCを使う作業が好きで、卒業してからもしばらくやっていたので、計6年は在籍していた。内容は、債権督促。電話したり、手紙を作ったり。そこで、親友と呼べる人間に二人出会った。また、その頃には金遣いが荒く、ブランド物を買うようになっていた。
卒業後1年、その企業で派遣として続けていた。親友の一人は、同じ派遣だった。地方から出てきた人で、年齢は私より下だ。もう一人は、そこで働く同い年の人間。関西弁でよくしゃべるが、仕事は真面目で、オンオフがしっかりしていた。その人は、魅力に溢れ、人が寄ってくる。そんな人に憧れてもいた。私のプライベートは、子持ちのシングルマザーにどっぷりとハマり、周りが見えなくなっていた。また、27歳で派遣社員という自分に焦りがちであった。そんな自分を隠すために、いいものを身につけようと、より高価なものを買うようになっていった。
そんな私が2008年3月に転職し、一般企業に契約社員として入社。相変わらず見栄を張る事が多かった。また、パワハラがひどく、そんな毎日に荒んでいった。そんな中、半年が経ち、部署移動が命じられた。その部署は新規立ち上げで毎日が新鮮で楽しかった。しかし、やはり同じ企業内。段々とパワハラが目立つようになり、遂には精神的に病むようになってしまった。しかし、家族に話すことも出来ず、友達に相談することも出来ず、一人抱え込んでいった。結局、会社を休むことになり、そのまま契約更新を拒否。2009年6月に退職した。
退職後、毎日家でゲームをする毎日が続いている。それは今も変わっていない。オンラインでゲームしたり、ゲームしながらスカイプしたり。そんな私も2010年3月頃から転職活動を始める。最初は、色々希望をしていたが、経歴を見ても営業経験のスキルと、離職期間が長い為、中々採用されることはなかった。現在までで80社に応募し、面接は15社、2次面接はわずか2社。もちろん採用されていない。
こう綴っていると、自分の人生に中身が無さ過ぎるとつくづく痛感する。色んな事から逃げて、妥協して、苦労をしていない。自己啓発も努力もしていない。挙句、見栄っ張りな私は、周りには仕事をしていると言っている。高価な装飾品を身にまとい、借金だらけの自分を隠している。今は、そのウソで固められた自分の人生を更にウソで固めようとしている。そんな自分がイヤで、でも人に話せない。だからこうしてここに書こうと思ったのかもしれない。
実際の自分はここで綴っている以上かもしれない。書ききれないことは山ほどある。
ただ、私が唯一人に誇れることは、人の為に何かをすることが好きだということである。
今後の自分を、しっかりと書きとめ、変化していきたいと思うだけでなく実行する自分にしていきたい。
文章に脈絡はあまりないが、長くなったので一旦ここで切ることとする。
何故振り返るか、それは現在の自分に満足していない。いや、満足なんて言葉は勿体ない。今のままでは駄目だと思い、振り返りまとめることによって、変わっていきたいと切に思う。
その為に、記憶を辿り、自分自身を見つめ直したいと思う。
私は1980年生まれの現在30歳。仕事は無職。アルバイトもしていない。実家暮らし。現在、ショッピングの借金が150万ほど。1日中ゲームしたり、PCをいじったり、テレビを見たりの生活。そして、両親のスネをかじり、生活している。
幼少期、私はよく怪我をしていた。活発で、他人に相当迷惑をかけていたらしい。母親はよくそう語る。そしてよく謝っていたらしい。私の記憶の中で一番小さい頃と思われる記憶は、日中にリビングのテレビ前で母親が洗濯物をたたんでいた。その横で私は寝ながらそれを見ていた。幼稚園ではいたずらっこで、よく悪さをしていた。それは多少自覚がある。幼稚園では初恋も経験した。もちろん告白や付き合うなんてことは一切なかった。
小学校の低学年、学校ではよくケンカをした。勝てない相手にはすぐ泣いていた気がする。習い事は水泳。幼稚園の頃からプールに通っていた。その頃、性にも興味を出していた。同じマンションに住んでいる同じ学年の女の子を自分が住むマンションの屋上でよく裸にさせて、観察していた。私含め、いつも男子2、女子1の3人だった。私は命令ばかりをし、自分は見ているだけであった。実際何をしたかったのかは覚えていない。その頃には既に小心者だったのかもしれない。勉強はそこそこ。運動だけは得意だった。その頃好きな子がいて、その子が引っ越した後、手紙でプロポーズしようとしたのを覚えている。母親に見つかり、送ることはなかった。
小学校高学年、相変わらず運動だけは得意だった。校内での色々な選手に選出されるが、基本的に1位になることはなかった。4年あたりから、書道を始め、5年でバスケットボールを始めた。塾にも通いだしたが、あまり真面目に勉強していなかった気がする。その頃には確実に性に目覚めていた。6年にはミニバスケットボール部のキャプテンになるが、中学校受験を控え、あまり積極的に活動していなかった。5年生の頃、担任の教師をいじめ、先生が1学期で変わるという事件にも加担した。5年の終わりには初めて彼女が出来た。が、デート等は一切ないまま、相手は引っ越してしまった。ちなみに、受験は全て失敗。近くの市立中学に通うこととなる。
中学校に入り、部活はバスケットボール部。いきがっていたが、ケンカで負けて、未だに泣いていた。担任の先生には反抗し、色々ないじめにも加担。タバコも吸い始めた。部活の練習は厳しく、何度も逃げ出しそうになったが、珍しく頑張っていた。勉強はあまりしていなかったが、塾に通っていたので、そこそこ通用していた。中学2年の頃、部活にはほとんど顔を出さなくなっていた。何をするわけでもなく、その頃はあまり記憶に残っていない。中学2年の後半に、彼女が出来た。そこから部活にも復帰して、頑張りだした。彼女は出来たが、奥手だったせいか、AとB止まり。Aも付き合って3ヶ月以上経っていた気がする。部活では、3年の頃、1年生をいじめ、一人退部させた。今でも覚えている。体育祭では、応援団長をやり、モテた。この頃は、応援団長=モテるだった。3年の頃にはポケベルを持っていた。*2*2が懐かしい。3年の終わり頃には、よく朝に友達の家で、ボンバーマンをやってから、遅刻して学校に行ったり、禁止されていた自転車通学をしたりしていた。受験は、第1希望の公立に合格した。授業態度は良くなく、内申はあまり期待できなかったが、勉強はそこそこ出来ていた。中学校くらいからゲームを始めていた気がする。
高校時代、入学からピアスを開け、金髪にし、登校した。いわゆる高校デビュー。そんな見た目から、避けられることもあったが、友達も出来た。その友達は筋金入りだった。高校はバスケ部を見に行ったが、金髪は不可と断られた。そして、親とケンカし、家出をするが、夜中に暴走族に絡まれボコボコにされる。次の日の朝には、血だらけで家に帰る。その日から数日経って、髪を茶髪にし、ピアスはやめた。先輩や、友達と遊んでいたが、今から考えると、ほとんど中身がなかった気がする。相変わらずゲームは好きで、よくやっていた。高校1年中頃には、中学校から付き合っていた彼女と別れる。2年近く付き合ったが、Cは結局しなかった。その頃、仲の良い友達から女の子を紹介されたが、気に入らずすぐに別れた。その事が元で、仲の良い友達からシカトされるなど、高校生活中に会話することはなくなった。高校時代は、基本的に何もかも中途半端。遅刻は多く、先生には反抗し、かといってケンカする度胸もない。高校2年の修学旅行前に彼女が出来る。が、修学旅行が終わって数週間で別れた。高校の思い出は、文化祭で料理を作って、それが大盛況だったこと、友達と1日中カラオケに行ったことなどしかなかった。卒業アルバムにもほとんど写真はない。大学は、あまり勉強していなかったので、行ける大学が少なかった。運動好きということもあり、体育大学への進学を決め、合格した。体育専門の予備校に通ったが、たいした思い出もない。
1999年大学に入り、部活動はバスケットボール部を選択した。上下関係が厳しく、何度も逃げ出しそうになったが、なんとか上手くやりくりした。しかし、部活以外、学校にはほとんど行かず、行っても授業に出ることは少なかった。バスケットボール部に入ったが、体力がないので、練習は大嫌い。授業にもあまり出ていなかったので、部活内でも結構浮いていた。大学1年の夏に、初体験をした。相手は、その時付き合っていた高校生。しかし、その初体験以降、相手は受験に集中したいと振られた。大学2年に入り、部活の課外活動の役員に選ばれた。選出理由は、みんなやりたくないからだ。私は、その課外活動が楽しくなり、より学校に行かなくなった。課外活動とは、バスケットボールの大会運営などだ。アルバイトもしたことのない私には、社会と触れる機会が新鮮で、楽しかった。その頃からPCも扱うようになり、ブラインドタッチも出来るようになった。しかし、学校に通っていなかったので、2年で2回留年した。3年になる頃には、みんな卒業を迎えていた。また大学4年で2回留年し、大学卒業まで8年かかった。除籍されるギリギリまで在学していた。もちろん親には何度も怒られた。体育大学の学費は決して安くない。カリキュラムの変更などで、授業がどんどん変わり、自分の履修も振り替えや、消滅などで色々と苦労した気がする。大学2年の終わり頃、彼女が出来る。その彼女とは2年付き合った。女子寮に住むその子のところへよく遊びに行った。2000年頃、ある私立中学・高校のバスケットボールのコーチをした。しかし、それもあまり真面目ではなかった。大学に入って4年目の時、大学2年の子と付き合うことになる。その子とは3年ほど付き合うことになる。2002年には、派遣で、一般企業で事務の仕事をしていた。基本的にPCを使う作業が好きで、卒業してからもしばらくやっていたので、計6年は在籍していた。内容は、債権督促。電話したり、手紙を作ったり。そこで、親友と呼べる人間に二人出会った。また、その頃には金遣いが荒く、ブランド物を買うようになっていた。
卒業後1年、その企業で派遣として続けていた。親友の一人は、同じ派遣だった。地方から出てきた人で、年齢は私より下だ。もう一人は、そこで働く同い年の人間。関西弁でよくしゃべるが、仕事は真面目で、オンオフがしっかりしていた。その人は、魅力に溢れ、人が寄ってくる。そんな人に憧れてもいた。私のプライベートは、子持ちのシングルマザーにどっぷりとハマり、周りが見えなくなっていた。また、27歳で派遣社員という自分に焦りがちであった。そんな自分を隠すために、いいものを身につけようと、より高価なものを買うようになっていった。
そんな私が2008年3月に転職し、一般企業に契約社員として入社。相変わらず見栄を張る事が多かった。また、パワハラがひどく、そんな毎日に荒んでいった。そんな中、半年が経ち、部署移動が命じられた。その部署は新規立ち上げで毎日が新鮮で楽しかった。しかし、やはり同じ企業内。段々とパワハラが目立つようになり、遂には精神的に病むようになってしまった。しかし、家族に話すことも出来ず、友達に相談することも出来ず、一人抱え込んでいった。結局、会社を休むことになり、そのまま契約更新を拒否。2009年6月に退職した。
退職後、毎日家でゲームをする毎日が続いている。それは今も変わっていない。オンラインでゲームしたり、ゲームしながらスカイプしたり。そんな私も2010年3月頃から転職活動を始める。最初は、色々希望をしていたが、経歴を見ても営業経験のスキルと、離職期間が長い為、中々採用されることはなかった。現在までで80社に応募し、面接は15社、2次面接はわずか2社。もちろん採用されていない。
こう綴っていると、自分の人生に中身が無さ過ぎるとつくづく痛感する。色んな事から逃げて、妥協して、苦労をしていない。自己啓発も努力もしていない。挙句、見栄っ張りな私は、周りには仕事をしていると言っている。高価な装飾品を身にまとい、借金だらけの自分を隠している。今は、そのウソで固められた自分の人生を更にウソで固めようとしている。そんな自分がイヤで、でも人に話せない。だからこうしてここに書こうと思ったのかもしれない。
実際の自分はここで綴っている以上かもしれない。書ききれないことは山ほどある。
ただ、私が唯一人に誇れることは、人の為に何かをすることが好きだということである。
今後の自分を、しっかりと書きとめ、変化していきたいと思うだけでなく実行する自分にしていきたい。
文章に脈絡はあまりないが、長くなったので一旦ここで切ることとする。