【顕彰会だよりをPRする伊藤さん】
【道の駅雷電くるみの里の雷電像前で
顕彰会メンバーと竹内公さん(右)
=顕彰会提供=】
【アトリエ内に眠る彫刻(顕彰会提供)】
東御市和の住民ら有志でつくる「竹内不忘先生を顕彰する会」=神津敬次会長、20人=はこのほど「彫刻家竹内不忘先生顕彰会だより」を発行。
地元出身の芸術家の功績を知ってもらおうと、5月から毎月同地区に全戸配布した。
また、8月には第4号を発行した。
同顕彰会は、平成22年に設立。
当初は、遺作を展示する美術館の建設を目指して活動してきたが、実現には至らず、生誕の地を示す碑を栗林地区に建立。
現在は、作品の銘板設置や清掃などの活動を行っていた。
今年は、竹内さんの没後11年。
大相撲の御嶽海関の大関昇進に伴い、地元出身の大関雷電に注目が集まったことなどを追い風に”雷電像の作者である竹内さんを顕彰する活動”が、再び活発化している。
会では毎月委員会を開き、記念碑建立部会や広報部会など専門部会で活動を進めている。
竹内さんの3男で、東京都小平市在住の竹内公(ただし)さんも定期的に訪れ「奈良原のアトリエ兼別荘」の整備や活用方法なども話し合っている。
同アトリエには、竹内さんの未発表作品や原型、石膏像など大小多数の遺作が眠っている。
副会長の伊藤隆也さん(77)は「アトリエの草刈りや空気の入れ換えなど維持活動を定期的に行っている。会のメンバーで鑑賞した際は作品の迫力に圧倒された。これらの作品を母校である和小の児童や市民の皆さんにも観てもらう機会をつくりたい」と話していた。
同だよりは、和コミュニティーセンターや道の駅雷電くるみの里、田沢おらほ村・関酒店などにも置いている。
同会は来年度記念碑の建立を目指し、賛同する住民らの寄付を募る予定。
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竹内不忘(本名延吉)さんは明治42(1909)年、小県郡和村(現東御市)栗林に生まれる。
和小学校卒。
山本鼎の農民美術研究所で彫刻を勉強。
19歳で上京し川端画学校に通う。
長谷川栄作に木彫を師事し、師の没後は斎藤素厳に塑像を学ぶ。
昭和5年日本美術協会展に初出品し銅賞。
同10年東邦彫塑院賞。
同16年新文展無鑑査となる。
同32年日彫展奨励賞。
同35年日展特選。
同41年日展会員。
中東、欧州など各国に遊学。
同54年和小学校100年記念に「太陽の子」を完成させ、同年紺綬褒章。
この頃から、故郷に「雷電像」をはじめ多くの作品がブロンズ化されて展示される。
平成元年日展参与。
平成19年道の駅雷電くるみの里「雷電像」。
同23年101歳没。