【資料を調査する結城准教授ら】
【設計図面】
【工場全景】
【目録】
上田市中丸子の閉鎖されていた「鐘淵紡績(かねぼうぼうせき)」に残されていた資料を”分類し目録”にする作業が、このほど大学の准教授らにより始まった。
1回目は3日間、上田市中丸子のカネボウの食堂棟で詳しく行われた。
「鐘淵紡績」は、後にカネボウ丸子工場となり、1996年に閉鎖されていた。
資料は、段ボール64箱分。
設計図から会社の経営、経済など多岐にわたる。
調査研究を行うのは、東北大学の結城武延准教授(経済史)、同大学の酒井健准教授(同)、東京都立大の小林延人准教授(同)、神戸大の平野恭平准教授(経営史)、清水建設技術研究所の平井直樹さん(近代建築史)の5人。
4年間かけて行う。
丸子工場は、鐘紡経営陣悲願の独自工場。
国絹糸紡績事業の集大成として当時の民間企業ナンバーワンの資本、技術の粋を集めて建設され、各方面から注目された。
結城准教授は「誘致から工場の建設まで一から行ったため操業当初の設計図面も多く残っている。売り上げ、原価、コストなど経営にかかわる帳簿などもあり国内の経済史、産業遺産の事実解明ができる希有な資料」と話す。
◆町が残された資料を保管
96年、鐘淵紡績が閉鎖され、工場跡地は町などが購入。
購入当時、助役だった浦芳照さんは残されていた資料を保管することを決めた。
当時、町の企画調整課に勤務していた佐藤清正さんは保管していた資料のことを「上田歴史研究会」の阿部勇会長に相談した。
令和元(2019)年、同会は、資料の整理を進め、1年半かけて目録を作った。
この時、阿部会長が東京都立大の小林准教授に貴重な資料の存在を知らせた。
阿部会長は「資料は設計図面や経営関係のものが多いが、女子従業員の賃金や生活記録、寮の日記のほか同社にあった丸子高等文化学院の記録もある。従業員のなかには中学卒業と同時に入社するため学院で勉強することができると、山形や新潟、富山から志願した人もいた。教育にも力を入れていたことは特筆すべきだ」と話した。