【飯田さん(左)、小河滋次郎と

関係者のかかし】

 

【平成8年に初めて作った

老夫婦のかかしを、のぞき込む母子】

 

 

 上田市古里でリンゴ栽培を生業とする飯田きみ子さん(71)は、毎年多くの”かかし”を作り、同市の棚田などに飾ってきた。 


 初めてかかしを作ったのは平成8年、大切に栽培してきたリンゴが鳥につつかれ困ってしまって、かかし作りを思い立った。

 

 見よう見まねで作ったかかしはおばあちゃん。作ったばかりのおばあちゃんかかしを家のいすに座らせておくと、中3の息子(3男)がそのかかしに「おかあさーん」と呼びかけていた。

かかしを畑に置くと、近所の人が「まだ畑にいるの?」と心配した。

それほどリアルなかかしができ上がった。
 

 かかし作りは評判となり、棚田にはなくてはならない存在となった。

かかしの本体は35体。

毎年、顔を変え、衣裳を替えながら様々なかかしが出来上がった。
 

 そんな中、かかしがもっと地域の人の役に立てたら―と考えた。

そして上田市出身の幕末の洋学者・議会政治の提唱者である赤松小三郎や方面委員(民生委員)制度の創設者・小河滋次郎、人工癌研究のパイオニア・山極勝三郎ら偉人を後世に伝えられたらと思った。
 

 平成30年、まず赤松小三郎をテーマに作った。

功績などは、白い肥料袋に書いて腰から巻いた。

そして、今年1月から2月にかけて小河滋次郎を作った。

同氏と関係者を含め20体と山極勝三郎と関係者10体が出来上がった。
 

 これら30体の偉人をテーマにしたものは、かかしの域を越え、偉人の伝承者の役目を担ったものとなった。

そして18日から2週間ほど上田市の神科小学校に展示が決まった。
 

 きみ子さんは「将来を担う次世代の子どもたちに上田市にはかつてこんな偉人がいたんだということをもっと知ってもらいたい。他の小中学校にも展示してもらえたら」と期待している。