【大正6年、笠原工業所蔵の記念写真を示す矢ケ崎事務局長】
【石碑にある「衝青天」などの文字】
【「藍玉」(最上部)と取引記録を記した藍玉帳など】
【渋沢家、尾高家と信州上田】
【「おカネの重さ体験コーナー」】
上田商工会議所は、来月14日から放映開始予定のNHK大河ドラマ「青天を衝け(せいてんをつけ)」の主人公、渋沢栄一(1840―1931)の企画展を1階ロビーで開催している。
同会議所は、明治28年に認可された県内初の会議所。
展示は、創立120周年の企画展に続き2回目。
新1万円札の「顔」になる実業家で「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一は、現在の埼玉県深谷市の出身。
安政年間、渋沢の16~20歳の青年期、家業の藍玉(あいだま)行商で上田を幾度となく訪れた。
当時の上田は、縞(しま)、紬(つむぎ)で知られ、小県だけで紺屋が50軒あったといわれ、「藍玉帳」などの取引記録や、長さ20㎝、高さ15㎝、幅13㎝ほどの「藍玉」が残されている。
今回は、渋沢が残した回想録「上田で金にかへて帰ったものです」から、渋沢が腰につけて持ち運んだお金、約3・5㎏の重さを体験する「おカネの重さ体験コーナー」を設置した。
また、佐久市の内山峡には、大河ドラマのタイトルの元になった漢詩の石碑が現存。
漢詩は渋沢が従弟で後に富岡製糸場建設に携わった尾高淳忠(じゅんちゅう)(1830―1901)とともに、藍玉行商のため信州を旅した際にこの地で詠んだとされる。
石碑の詩の一節「勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征(青天を突き刺す勢いで臂(ひじ)をまくって登り、白雲を突き抜ける気力で手に唾して進む)」を場所を示す地図とともに拡大して紹介する。
さらに上田市岩下の観音堂「無量庵」には、奉納された経典に「澁澤市郎右衛門」「尾髙新五朗惇孝」の名が残され、渋沢家とともに尾高家も上田とつながりがあることが分かっており、岩下自治会が管理する経典もパネルなどで展示。
同会議所に残された渋沢の揮毫(きごう)「温故而知新」の「上田東高校書道班」による書も展示する。
同会議所の矢ケ崎雅哉事務局長は「佐久、上田が蚕都として、商売の先進地であったことが分かるもの。
上田商工会議所としても『温故而知新』の言葉のように、長い間培われてきた精神を大切にしながら、新しいことに挑戦し続ける存在でありたい」と話す。
展示は来月19日まで。
土日祝を除く、午前9時から午後5時。
無料。
問い合わせ(電話)0268・22・4500(同会議所)