このトピックでは私が公認飛行教官になるときに習ったプロフェッショナリズムを基に解説しています。
<意味>
原文からのポイントはこれです。
do not become complacent or satisfied with their own qualifications and abilities
constantly alert for ways to improve their qualifications, effectiveness, and the services they provide to
「自分が持っている能力と資格について、私はこれで充分満足なのだと思い上がったりしてはいけません。
資格や効果的な取り組み方にしても、相手の為にできることを常に意識して向上させましょう」
ということです。
<日本とアメリカ>
日本では当該資格と技能レベルにフォーカスされ、その後は常識的に信じられていることができれば良い、というのが社会風潮だと思っています。
全てではありませんが、それはそれで良いと思います。
他方で私が先輩のアメリカ人から聞いたアドバイスも指導書も、それまで日本で習った職業意識とは別次元のことでした。
努力して資格を取得してその専門のプロになったその後はどういう姿勢や態度でいるべきか、ということが明確に扱われました。
試験官からの質問で
「あなたはどんな飛行教官になりたいのですか?」
に対して具体的に、かつ相手にわかりやすく述べられなければ公認飛行教官の国家試験に合格しないことは明らかでした。
受験者のプロ意識が試験官に伝わらなければ失格です。
先輩からは「自分が信じている意見を曲げるな、押し通せ!」と指導されました。
調和が一番に重んじられる文化で育った私たちには難しいことでもありました。
<劣るか向上か>
ある人がめでたくプロとしての資格試験に合格し、それでその仕事をしているとします。
その後、やがて月日が経過するに従っていろんな知識や技量は劣ってゆくか向上してゆくかのどちらか一方の傾向になってしまうのです。
その変化がものすごく微々たる程度だとしても劣るか向上かです。
現状維持というのは少ないように思われます。
<悪運>
私が今まで接したいろんなプロの先輩達、パイロット、シェフ、ツアコン、事業者、心理カウンセラー、習い事のインストラクター、などなど、尊敬した人はみんな向上し続けていたプロでした!
でも確率の問題で出会いましたよ、思い上がった独りよがりな専門職や指導者にも。
私の場合は自動車教習所の教官と、飛行教官と、警察官、医師などで、とても嫌な想いをさせられたのを忘れられません。
あー最悪~っと、思いました。
一方、それらの同じ職業で尊敬できる人にも出会った経験があり、それで過去の嫌な想いが解消されました。
もしも、なんちゃってプロの人に当たったときは、運が悪いと思ってなるべく早く決断してその人から離れる行動をとるべきです。
私はそれができたケースとできなかった時もありましたけど、難しいですね。
<自己肯定感>
一方、誤解の無いようにお伝えします。
プロが自分自身について、知識や能力がある程度備わっていると自覚して、自信を持っていることは大切です。
そういう内面はとても大切です。
自己肯定感が高いという心、自信があるという心は、やる気、エネルギーを生み出します。
質の高い仕事へとつながります。
「私にはこういうことができる」という自分自身における満足というのは必要です。
自身にとっての肯定感と、満足して思い上がる、の違いはその先の進む方向が真逆なのです。
<最後に>
いつかこんなことばに出会いました、大好きです!
(原文は英語)
“自分は知りたいことのほとんどを知っている、と思っていることは、あなたが本当に知るべきことから遠ざかっているということなのです”
この「知る」という語を別の動詞に置き換えても文の本質は成り立ちますね!
さて、
読者でプロを目指すかたはどんな心を持ったプロになりたいですか?