こんにちは♪
奥山リエ子です。
私がIRMを始めたのは2009年の3月です。
IRMをやって自分に向き合って行こう!
と決めて行動したということは、
意識が浄化の方向に集中しているということで、
起こってくる出来事も、その意識を反映していると感じます。
今日は父とのこと、以前も書いていますが、
振り返ってまた感動が深くなることがあったので、書きたいと思います。
過去に浄化されたと思ったことでも、また時間をおいて観ていくと
感謝や、感動や、気づきがどんどん深まって、
ギフトが大きくなることを実感しました。
IRMを始めてすぐ、ダンナとの間でもの凄く寂しい感情を味わうことがあり、
たくさんたくさん涙が出てきました。
そして泣いているうちに、私は父にもっていた「寂しかったんだ~」
という気持ちを急に思いだしたんです。
今出ている望まない感情の元は、過去につくったメンタルブロックにあります。
特に、小さい頃に無条件に信じている親からの影響はとても大きいです。
その当時、私は父のことを、私に対しての愛情を疑うくらい
とても「無関心だ」と思っていました。
実際、父は私のことを愛していないんじゃないかと思っていたし、
「心が通う」体験を父としたことがないと思ってました。
同じ家に住んでいて、毎日顔を合わせるというのに
20年くらいは全然話をしてなかったし、
お互い挨拶もしませんでした。
父が話しかけてくることはまずありませんでした。
世間話や、今日学校でどうだったか・・・
なんていう話をしたこともありませんでした。
だいたい、母が間に入って「おとうさんにこのことをちゃんと話しなさい」
などいわれて、義務的に報告したりしていました。
私は、父からいろいろと話しかけてもらったり、
私が話すことを興味深く聞いてくれたりしてほしかった。
でもそれが叶わなくて、ずーっと心寂しさ、孤独感を抱え、
それを感じないようにと心の奥底に閉じ込めていました。
5年前自己観察で、この寂しさの元の「無関心」を自分の鏡として観ていったら、
自分だって父に対して、弟に対してもの凄く無関心だよなと思い、
でも本当に無関心って言うわけではなくて、
今はもうどうしていいかわからなくなっちゃっているから
本当は愛しているけど、表現できなくなっているだけなんだ・・・!!
気づいたら、
父だって、表現の仕方が私が望んでいたものではなかっただけで、
今までどれほどのものを与えてくれていたのか・・・
愛がなければ絶対にできないことだ!! と、
この瞬間「無関心」が「愛がある」に。
180度エネルギーが反転しました。
180度エネルギーが反転しました。
やっと、やっと、与えられていたことを受け取ることができたんです。
もう、このときは、なみだなみだの大洪水で、
どれだけティッシュを消費したかわからないくらいでした。
その時の自己観察はこちらの記事に載せていますので
もしよければご覧ください。
この後、自分の生まれもった「無関心さ」については、
いろいろなことで向き合ってきて、修正してきました。
これが、人間関係でうまくいかなかった根本的な原因の一つだったからです。
最近、この父との関係を振り返っていた時に、
父は本当に無関心だったのか?
改めて考えてみました。
父とは気持ち・感情が介在する話をしたかったと思っていたけど、
実は、そのころの私はそういう感情がどうこうが凄く嫌で、
感情を感じないようにしていたことを思いだしました。
なんと自分が求めてもいなかった!自分の望んだ通りだったんです!!
現実を創造していたのはやっぱり私でした。
私は、父から話しかけて欲しかった。
父は話しかけてくれないとばかり思っていましたが、
父と心を通うような会話をしたいのであれば、自分から話しかければいいのに
自分から話しかけることはしないでいました。
父に対して求めることしかしていなかったんです。
父に対して求めることしかしていなかったんです。
少なかった父との会話ですが、その内容を考えてみたら、
ほぼ全て私自身のことでした。
ほぼ全て私自身のことでした。
私の進学、就職、そして、ここに送って行ってとか、これ買ってとか。
父のことは話していません。
それだけ、父に対して、「私が」無関心だったんです。
ほんとにほんとに・・・・
私がほんとうに父に対して無関心で、
何も与えずただ欲しい欲しいとやっていたことに気づきました。
そう・・・親だから与えてくれるのが当たり前
「自分は何も与えなくても親からは与えられるべき」
という価値観になるでしょうか。
気づいた時にはちょっと冷や汗をかきました。
私はなんて親不孝な娘だったんだろう・・・と。
大反省です。
でも、それ以上に、父に対して感謝の気持ちが大きく大きく起こりました。
こんな私でも、父はずーっとずーっと見守り、
私にとって何がいいのか考え続けてくれていた。
自分にはお金を全く使わず、私たちにばかり使ってくれていた。
どんな私でも、父はずっと父として愛してくれていたのだな・・・と。
そして、さらに気づいたのは、
私に話しかけてこないから、何も私のことを話題にしないから
無関心だと私は思っていたけど、
それって、信頼してくれているということだったのでは?と思えたこと。
父への感謝がどんどん深くなっていくのを感じました。
ここでもまた結構泣きました。
自己観察して本当に父は私のことを思っていてくれたんだと悟ったときの
過去の感動も思い起こされ、
本当に私は幸せだな~とその感動をじわじわと味わいました。
無関心だと受け取ったのは、他でもない私なんです。
もし違う人だったら、違う受け取り方をした可能性だってあります。
ここまでくると、父がどうこうではなく、
私自身が「無関心」さをもっていた故に現実に体験したことだと
思わざるを得ません。
実際に父がどう思っていたのかは、本当にはわかりません。
でも、大切なのは、
実際の父がどうだったかということではなくて、
私がそう「受け取った」ということ。
100%私の中にあるものだから受け取ることができるんです。
だから、自分が受け取った現実は全て自分の内面を映してくれている。
だから、現実をみることで自分の内面がわかる。
だから、自分が受け取った現実は全て自分の内面を映してくれている。
だから、現実をみることで自分の内面がわかる。
真理としてそうであることは100も承知だったのですが、
肉親となると、情の部分がとても大きいです。
「親なんだから」という前提そして、
無条件に親へ期待していたことが裏切られたと感じた時の感情が
なかなか冷静になれない原因ですよね。
でもだからこそ、本当に体験を全肯定できて両親に心から感謝できたら。
自分が選んで産まれてきた両親です。
そこに、幸せへ深く繋がる道が用意されているのだと感じています。
私のことで言うと、父との体験がもとにあり、その後の人間関係も
同じパターンでうまくいっていませんでした。
気づいた時には、自分のこの性格は父のせいだ・・・
父親が違ったら、私はこうはなっていないのにくらい思っていました。
今は、本当に父の元に生まれてきてよかったと思えます。
父のいいところ、感謝すべきこと今まで曇っていたものが、
はっきりとみえるようになりました。
あなたも、もし人との間で苦しんでいることがあれば、
「この人はこういう人だ」
と言う決めつけをいったん外して、真実の姿を観ていきませんか?
人を自由にすると、誰でもない自分が自由になれるんです。
自由になっていくこの感覚をこのブログを読んでくださっている
あなたと共有できたら嬉しいです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
IRM認定インストラクター
奥山リエ子
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※自己観察→感情学修
自己観察カフェ→自分イキイキカフェ
に名称変更しています。